学芸員の業務というのは、実に多岐にわたっていて、とにかく「忙しかった」の一言でした。普及行事のまとめ担当をしていた2009年(ちょうど40歳)ごろから、担う業務量が自らの処理能力を超えていることに気づいていましたが、2015〜16年に2度にわたって倒れ、緊急入院するまで、仕事の仕方を見直すことにはなりませんでした。
その後、2回の心臓の手術を受け、いちおう元気になった後は、いったん死んだつもりになって、今のこの博物館に足りないものは何であるか、自分がどのように動くのが博物館の将来にとって最も良いのか、をベテラン学芸員なりの立場から真剣に考えました。
館内を見渡してみて、1950年の天王寺開館以来、先人らが蓄積された標本や図書の資料の保管が不十分であると感じていたので、そちらに力を注ぐことを強く意識して、近年は行動していました(よって野外や館内の行事の場などで、みなさんのお目にかかる機会は、たいへん少なくなりました)。それも不十分なままの退職となりました。自分の力の限界を感じました。たいへん申し訳なく思っています。
お世話になったみなさん方の力によって、自然史科学の更なる発展が成し遂げられるよう、心から願っています。
退職後については、再就職先が特にあるわけではありませんが、細々と暮らしながら、元気の続く限り、社会のために微力を捧げたい気持ちは持っています。