挫折未遂

1.挫折とは

「挫折未遂」・・・。最近、ネット界隈で喧しい話題(自民党総裁選の某若手候補かもしくは兵庫県知事のことのどちらか)で見つけた言葉。なぜか私の胸にしっくりくる言葉だった。

挫折とは何かといえば、自分の限界を知った時であると思う。

私自身に関して具体的には、中学生のマラソン大会がそうだった。自分は全力で走っているにも関わらず、倍のスピードで折り返しているクラスメートがいるのを見た時、人には能力差というのものがあると思い知った。

逆に学力テストの点数が他人より倍だった時は、逆の思いをその人にさせたと思う。

人は若いうちに、このような「挫折」を味わって、自分という人間の特性を知る、つまりアイデンティティーを確立させることが、とても大切なのではないかと思っている。その意味では、「運動会でみんなで手をつないでゴール」はダメだと思う。

この「挫折未遂」という言葉が私の胸にしっくりしたのは、その状態と思われる人が身近に何人かいるからだ。以下の人たち(もちろん個人名は出さないが)は、全員が50歳代以上である。今後も失敗を他の人の事(運も含む)のせいにし、他人とは特別の優越した自らを維持し続け、挫折を味わうことはないだろう。


2.挫折未遂者たち

A氏:関東出身。東大受験に失敗し、東京の有名某私大に進学。だが自分は本来は最高ランクにいなくてはならないはずの人間で、そんな有名某私大卒の学歴であってはならない。そのことをどうしても他人に認めさせたい。ああ、そのためにも東大に入りたかった。でも、自分の偏差値だったら京大なら入れたはず。ああ、そうだ。最初からそうだったことにしよう・・・。そして関西にやってきて京大大学院へ進学。こちらからは特に何も聞いてもないのに、自分が「京大卒である」ことをやたら話題に挟んでくる(有名某私大の学歴は隠して:これを学歴ロンダリングという)。「あなたは人間として最高ランクのお墨付きが付いてますね、すごいですね」、そう言ってほしい。何度でも言ってほしい。自分は負けたのではない。

B氏:弟とは5歳差。物心ついてから高校まで、弟には体力でも知識でも、何でも負けたことがない。だが、大人なれば誰にでも長所と短所はあるもの。しかし、還暦になっても、弟が優れている部分がほんの少しでもあることさえ、認めることができない。ウソをついてでも、自分の優越性を見せつけてくる。事あるごとに自慢話を延々と語る(聞かされる)。

C氏:親が甘く育てすぎた。他人から見れば大した能力はないのが明白にも関わらず、幼稚な万能感をこの年齢になっても保持し続けており、「自分は特別有能だ、だから特別扱いされて当然である」という言動を繰り返し、周囲を困らせる。「学会」など一般人が即時に見上げてくれる言葉を一般人の前で連呼する。その学会発表で大したことのない研究発表をする(奇をてらうため、つっこまれないため、わざと聴衆の知識にない内容にして、専門用語で煙に巻く)。実際の学歴としては地方国立大学。もちろん地方国立大学出身で尊敬する立派な方はたくさん知っているが、この人物は「自分は東大医学部に入ろうと思えば入れたが、それをしなかっただけだ」などと学歴を強く意識した豪語する。他人から見れば大した能力はないのが明白にも関わらず・・・(再)。


3.自己愛がもたらす悲劇

これらの人たちに共通点があるのが興味深い。

1.本当の意味での友達が全くいない。だがSNSの時代なので、SNSとしての「友達」はなぜかとても多い(申請しまくれば、そらそうなるわな)。端的に言えば、「外面だけいい」人。だが普段、周りには人は誰も寄り付かない。SNSの時代の前は、自分に来る年賀状が多いことを自慢していた。

2.他人を肩書や学歴などだけで判断し(他に判断基準を持ち合わせていない)、上とみたら、なりふり構わず媚びまくる。下と見た人間には、特に根拠もなく「自分はそちら(偉い人)側の人間である」ことを自慢とともにアピールして露骨に見下し、やたら偉そうにする。パワハラ的な言動も散見される。。

3.その人物に意見をすることがあれば、人格全否定されたかのように、烈火のごとく怒る。なので周りは誰も何も言えない。気に入らない奴は平気で、組織グループから追い出す工作を図る(権力を握ってしまった場合が厄介)。だが他方で実はひとりになったときに、言われたことに対して、じくじく思い悩んでいる=プライドが異常に高い

4.自分の非は絶対というほど認めない。うまくいかなかった理由を、自分のこと以外、あれこれ述べる。当然ながら他責的なものが多く含まれる。

5.賞賛されることを過度に求めるあまり、自慢話が多い。人脈自慢の中には、その出世した人が単なる中学校の同級生だったり(今は連絡不通)、もう亡くなった著名人と「実は親しかった」などと言ってみたり(死人に口なし)、眉唾のことが少なくない。バレない範囲で「話を盛って」いるとみられる。そこを問いただすと不機嫌になり、逆攻撃をしてくる。

6.自分に理想と現実の乖離があることは、口には絶対に出さないが、実は気づいている。でも出来なかったわけではなく、まだやってないだけだと解釈する。逆転満塁ホームランが打てると信じている(打てなかった場合、満塁で自分に回さなかった周囲が悪いと考える)。

このような人たちは「自己愛性パーソナリティ障害」という状況であると思う。私がこのような人に振り回されて悩んでいた時、中村りん氏のyoutube動画に出会って、だいぶ相手を客観的に見ることができるようになった(中村さん、感謝です)。

兵庫県知事もおそらく、これに当てはまるのではないかと思われる。


4.そんなリーダーを選んではいけない

挫折の本当の意味を知るには、挫折をそれと認識する能力(というか性格)が必要なのだと思う。「負けず嫌い」は向上心につながり、困難に打ち克つ良い側面はもちろんあるが、それが客観的能力を超えた極端なものであると、周囲の人間が迷惑するだけになる。本人には罪悪感がまったくないから、とても質が悪い。

精神科医らは異口同音に「自己愛性パーソナリティ障害の人物からは、可能なかぎり距離を置くしかない」「それができない場合は我慢するしかない」と述べる。

残念ながら、こういうタイプの人物は傍目からはリーダーシップがあるように見えることがあり、結果的に組織のトップに立ってしまうことがある。するとその期間、誰もどうしようもなくなり、結果的に大きな組織的停滞となる。

また得てして、そういう人物はなりふり構わず(ライバルらを蹴落として)トップに立つこと、名ばかりの肩書を得るだけが目標(ゴール)であって、その先のことを考えてないことが多く、結果的にさほどの功績を残していないことも多いように思う。

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