「学芸員を辞める勇気(殺される前に)」

過労状態の実際

 2010年頃に自分が書いたもの(旧48Kのブログ2010~2021)を読み返している。

 この2010年頃の仕事量は半端でなく、この日記を読めば、客観的に見ても私が完全に過労状態だったとわかると思う。行事のトリプルヘッダとか、休日出勤の代休(2連休)を休暇扱いにしてフル稼働で仕事するとか、まったく異常だったとしか言いようがない。

トリプルヘッダ
https://shiyake-doitsubako.website/48Kblog2010-2021_compressed.pdf#page=116

2連休
https://shiyake-doitsubako.website/48Kblog2010-2021_compressed.pdf#page=132

 その後2014年夏にも、仕事量過多が原因の過労の状態となった(こちら:都市の自然展2014の標本点数)。21時間労働/3時間睡眠、を5日間も続けなくてはならないなんて、正気の沙汰ではない(とはいえ、展示の開幕日は否応なしにやってくるのである)。


労務管理者の怠慢と労組への絶望

 当然ながらこの間、労務管理者(管理職)は職務状況の改善に取り組んで然るべきだった(少なくとも2010~14年のうちに)。しかし当時は「こっちが叱られるような超過勤務は付けるな」と言われ、サービス残業が当たり前の毎日だった。

 もちろん叱られない範囲で残業を記録して申し出れば、超過勤務手当は出されるのだが、当時は仕事量が余りにも多過ぎて、「本質的に解決すべき問題点は、職場内(労働組合員間)での仕事量の集中や偏在であり、お金のことではない」と強く思っていた。しかし職場内で政治力に幅を利かせ、既得権益を貪っている上記管理職系の労組「勝ち組」にとっては、当然ながらこんな「負け組」の意見は、労組内の問題として取り上げる必要は無いし、その気配も無かった(病院に担ぎこまれた私へ、手を差し伸べる様子は何も無かった)。私は絶望して、2018年で労組を脱退した(組合費を返せえ~!)。

 結果的に2015 ~16年に脳や心臓を2度にわたって患って倒れ、心身共に病んで進むべきレールから大きく逸脱してゆき、とうとう2022年3月に退職となった。当時の労務管理者の責任を問いたい気持ちが再び強くなっているが、もう8~12年も前のことだし、私ももう退職してしまったので、悔しいけれど泣き寝入りするしかないのだろう。


退職への道

 その旧48Kのブログを読み進めてみると、2019年12月 には既に、心が退職へと傾いていたようだ(826ページ)。

https://shiyake-doitsubako.website/48Kblog2010-2021_compressed.pdf#page=826

 当時は心臓の手術後に病欠で長期休暇するなどしていたが、自宅でアドラー心理学の本をあれこれ読んでいた時期でもある。

自分の力を活かすことで貢献感を持てる仕事をしなければ、自分に価値があるとは思えません。自分の力を活かせない職場に居続ける意味はありません
「アドラーに学ぶ よく生きるために働くということ」 岸見一郎、ベスト新書、2016年


勝ち組」のせせら笑い/「負け組」の涙

 さらに本書では「自らが進んで周囲を変えていく」必要性が述べられているが、私は・・・

もし(自らが周囲を)変えることが及ばず、明日辞めることになっても「後悔の気持ちは無い」と断言できる。その「勇気」(本書より)はもう既に持ち合わせている。

・・・と綴っている。職場内の「勝ち組」から見れば、「負け組」の遠吠えでしかないのだろうが、我ながら鬼気迫るものがある。

 このころ既に、(1)自分には周囲を変える力量がないこと、(2)このまま勤め続けたら3回目倒れる(=殺される)こと、を悟っていたようだ。

※サービス残業は絶対にしてはいけません。させてもいけません。

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