自己受容法=「恥ずかしい」からの脱却

 プライドとコンプレックス(劣等感)は表裏一体のものであると聞いて、一瞬よくわからなかったが、いろんな人を観察してみて、確かにいわゆるプライドの高い人の根底には、同程度のコンプレックスの存在が見えてきた。それでは幸せといえない。逆にどちらも少ない人は、自分なりの持ち合わせのスペックでもって人生を歩み、たいへん幸せな心が得られている。

 これはそれらの人の能力や成績とは無関係で、心の中だけの問題である。能力が上なら幸せというわけではない。知り合いの先生ですごい研究の成果を出しているのに、コンプレックスの塊のような方がいる(なので相当プライドも高く威張り散らしている)。

 とはいえ、特にプライドの高い人にとって、自分のダメな部分に目を背けず、直視して受け入れることは難しい。私自身、まったく脱却できていない人間だ。

 自分なりにその方法を思案したが、それはすなわち「恥ずかしい」の感情を捨てることなのかなと思っている。他人に見せたい理想の自分と、実際そうじゃない自分とのギャップに「恥ずかしい」の感情が生じる。 それはすなわちコンプレックスである。私自身、過去のうまくいかなかった事を思い出し、「恥ずかしい」「消し去りたい」という気持ちになることがしばしばある。その気持ちを解消するため、優越感を見せつける言動が多くなったりする。

 だが実は他人は本人が思うよりもっと「コイツはそんなもんだ」と、現実の自分の程度を既に知っているような気がしている。また他人から私への関心は、私が思っているよりかなり低い。

 なので、その人の消し去りたいコンプレックスを「恥ずかしい」と思っているのは、ほとんど本人だけであって、他人にはかなりどうでもいい話なのである。

 こう考えれば、「自分なんてそんなもんだ」と受け入れることができる(のかな?)。

 さらに人の目を気にしない自己肯定感が得られれば、おそらくより幸せな心で日々の生活が送れる(のかな?)

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