市民「マラソン」イベントへの嫌悪感

先だって訪れたところで、市民マラソン大会に出くわした。3時間ほどでもランナーが途切れないぐらいだったので、参加者人数はかなりのものだったと思われる。山間の地域だったので、迂回路もない。なので交通規制はなく、道路交通法に基づくイベントとのことで、自家用車の私も通してはもらえた。

だが、車で通行する林道を走るランナーの視線には冷たいものを感じた(※直接言われたわけではない)。同時に疑問も感じた。

無言の声から私が(勝手に)読み取ったのは「私たちは健康増進につながるいいことをしているのに、なぜ一般車が通行して私たちの活動の邪魔をするのか」。確かにジョギングやマラソンは健康増進につながることではあるが、そのランナーご自身の健康については、こちらは知ったことではない。

「私たちのイベントは参加者人数が多い。多数が少数を制限するのは当然ではないか?」。これもこちらの勝手な被害妄想だが、かつて勤務していた博物館の行事でも同様のことを感じた。「私たちが今やっているのは博物館公式行事だ、参加者も多い。だからあなたたちのサークルの今日の活動は、こちらの都合にすべて合わせるべきだ。」 

人数が多ければ、民主主義なのか? お上のお墨付きの活動なら優先されるのか?

またランナーの中にはふざけた被り物をしている人もいて、こちらの嫌悪感は上昇した。これはハローウィンに渋谷や心斎橋で仮装している若者とノリが同じではないか? 「大人数なら他人に迷惑かけていい」という心理で、多数の迷惑行為がかつてあったのは事実。ランナーのみなさんも、似たような心理でこの場に臨んでいるのではないか?

私の車の前を走るランナーの一人は、イヤホンで音楽を聴いていて、こちらの存在には気づいていない。クラクションを鳴らすわけにもいかない。気づいてもらえるまで、かなり時間がかかった。

マラソン大会に、他のたくさんの方と一緒に参加することでモチベーションが上がるのは理解できる。ひとりでやっているよりは、たくさんの人と励まし合いながらのほうがいいだろう。

だが、それによって迷惑をしている人がいることも知ってほしいと思うのです。私は琵琶湖畔に居住しているので、春の「びわこマラソン」のように、選手によるレースならわかります。でも私は市民マラソンは嫌いなのです。

参加人数を動員人数にカウントして評価をしてもらおう、それで出世しようという、つまらない役人によるつまらない企画や発想ではないか、とさえ勘ぐっています。

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