松本人志氏の芸能活動休止について(自然史学的視点から?)

人の五大欲求として、食欲・性欲・睡眠欲・物欲・承認欲求があるが、これは人だけではなく(人志だけでもなく)、他の生物も持っている。

人類が今日に至るまでは、過去には猿、ネズミ、爬虫類のような生き物だった。そのような生存競争の厳しい中で命が代々続くように、神様はたいへん大きな性欲を与えられた。

地球の長い歴史の中では極めて最近になって、人類は叡智ある社会性動物へと進化した。だが人類は全員、神様が与えられた「不必要に大きな性欲」を持ったままでいる。松本氏もそのひとりである。なので、氏がそれを持っていることに罪はないし、恥じる必要もないし、それを報じられて、そこだけを責めるわけにもいかない(テレビでの若いころからの発言を見ると、他人より若干大きい気もする・・・)。

誰もがその「不必要に大きい性欲」を処理する方法に困っている。その状況の中では、やはり社会のルールが必要である。それは、迷惑している人がいるかいないかだと思う。

いわゆる痴漢行為は、その「不必要に大きい性欲」に基づいた行為だろうが、迷惑している人が必ずあるので、これは許されないことである。

週刊誌側の主張のように、当事者が当時からずっと迷惑しているということであれば、問題となっても仕方ない(=完全クロ)。

他方、タレント側の主張のように、(氏の家族や当事者も含め)誰も迷惑をしているという事実はないということであれば、問題にはならない(=完全シロ)。

その間のグレーな状況かもしれない。
・有名タレントだからということで、多少とも承知の上だった。
・当時はそうでもなかったが、今は嫌な思い出に変わった。
・週刊誌で報道されたほうが面白いし儲かるから、そういうことにした。
などなど・・・

いわゆる忖度によって、着地点が権力の強い側に出ることがあるように思うので、そのあたりにも配慮しながら、判断が下されることを望む。

PS. とにかく上記の如何にかかわらず、「ガキの使い」は毎週見ているので、これに松本氏が出なくなるなら残念だ。

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