1997-99|2000-02|2003-06|2007|2008|2009|2010
自然史博物館には[omnh]というメーリングリストがある.昆虫や植物,動物や地質など,自然史に関わる情報を会員同士で交換しあうというものである.本HPでも,手抜きをして,ここで発言した内容をそっくりそのまま掲載していることもある(以下のいくつかを参照ください).
このメーリングリストが12月6日に開設1周年になった折り,発言数トップテンなるものがリストオーナーから発表された.発言の回数がこの1年間で多かった人の上位10名が紹介されたのである.
小生は無口な性格なので,そんなに上には入っていないだろうと思っていた.ところが,結果を見て驚いてしまった.発言数109回で,会員169人中,堂々6位にランクインしていた.約3〜4日に1回は首をつっこんで発言している計算になる.
的はずれでくだらない,無責任な発言も多かったのではないか,とちょっと反省している.(発言の少ない方は,この記事をまったく気にすることなく,どんどん発言してほしいと思います!)
大阪の朝日放送テレビで金曜深夜に放映されている某人気番組,TんていNイトスクープに出る機会があった.ゴキブリについての質問である.この番組の探偵は,自然関係のネタはとりあえず私たちの博物館に来られることになっている.全幅の信頼をおいていただいて,たいへん光栄なことである.かつて同僚たちも出る機会があって,取材を受けている場面などを端で見ていたが,ついにその番が自分にまわってきた.
収録のときはたいして緊張もせず,尋ねられたことを知っている範囲で答えただけであった.スタッフから伺っていた放映日(関西では10月22日)の放映時間前のほうがむしろ緊張したぐらいであった.
放映後,ある現象がおこった.つぎつぎに私あてに電子メールが届いたり,この番組に関して声をかけられたりしたことである.親類兄弟,なじみの友の会の会員さん,同業の研究者たちはもとより,近所の方や中学時代の友人からも,「見たで〜」の声をいただいている.
ただ,あて先に「ゴキブリの王子様」というのだけはやめてほしいなぁ.
●大阪の昆虫は大阪人に似るか?(メーリングリスト[omnh: 2298]より )
先日,東京の某テレビ局から,おかしな取材の電話がありました.
【記者】大阪のセミは東京のセミに比べて,うるさいと聞いたのですが,それは本当ですか?
【初宿】それは本当でしょう.セミの種類の構成が違いますからね.東京はミンミンゼミやアブラゼミが多いですが,大阪の市街地は声が大きくて合唱性のあるクマゼミばかりですから,大阪の方がうるさいと思います.
【記者】それは大阪の人が口やかましいのと何か関係があるのですか?
【初宿】・・・・・・・・・・・
【記者】ところで,関西のホタルは関東のホタルにくらべて,点滅の速さが速いと聞いたのですが.
【初宿】そうです.ゲンジボタルの例ですが,東日本の約4秒に1回に対し,西日本のものは約2秒に1回の速さで点滅します.
【記者】これは関西の人がせっかちなのと関係あるんですか? 信号待ちもフライングが多いらしいですよね.
【初宿】・・・・・・・・・・・
【記者】また取材しますので,よろしくお願いします.
タレント調査系のバラエティ番組の取材だったようだが,その後は取材がないので,このネタは没になったのでしょう.
今日は毎年恒例(?)の健康診断があった.ヨーロッパ訪問中にかなり痩せたのだが,その後5カ月でかなり挽回してしまった.それでも昨年よりは体重が減っている.昨年は肥満度9%で「正常」な値であったので,今年も安泰である.
私は今年30歳なので,区切りの年ということで,2種検診と呼ばれる,かなり精度の高い検査を受けなければならなかった.心電図や詳しい聴力検査などのほか,血液検査も行われた.
保健婦さんが左腕の肘の内側の血管をさがし,血液を抜かれるのであるが,私の肘のド真ん中にはなぜか大きく黒いシミが残っている.「兵隊虫勝負」のあとである.兵隊虫勝負(こちら)で負傷した腕は,当時に比べればかなり治ったものの,3カ月が経過した今でも少し色素沈着が残っているのである.見にくいので,保健婦さんは肘の別の場所をさがして血液を抜いて下さった.
こんなところに支障が出てくるとは思わなかった.
東側の海に面した窓から,朝5時に朝日がまぶしく差し込む.飛び起きて清々しくカーテンを開けたら,なんと雨であった.
「天気雨」である.キツネのいない島にキツネの嫁入りとは何事だ? 山に上がるのはもう今日しか残されていない.降水確率は低いのでとりあえず山へ向かってみることにした.
標高1000mあたりで猿の群に出会う.一匹がエサをねだりに車のボンネットに飛び乗ってくる.お腹には乳飲み子を抱えた母ザルである.ボンネットから窓へと移り出す.車が走っていようと止まっていようとお構いなしだ.私がエサをくれない人だとわかると,さっさと飛び降りていった.
しばらく進むと,また前に猿の群.今度はオスザルが車の進行方向の真っ正面に堂々とやってくる.ひき殺すわけにも行かないので止まるしかない.やっぱりボンネットに乗ってきて,車の中の様子をうかがっている.このオスザルを追い払おうと四苦八苦していると,後ろから1台のタクシーが追い抜いていった.さっきの母子ザルをボンネットに乗せながら・・・・.
そうこうするうちに,標高1600mの淀川登山口にたどり着く.周囲に霧がたちこめ,しとしと霧雨が降っている.とりあえず,日本最南の高層湿原「花之江河」まで行ってみることにする.
約2時間半の登山を経て目的地につくが,強い風と霧と雨で,眼鏡は曇り,着ているものはびしょびしょになってしまった.シーズンオフなため,登山道ですれ違ったのはたった一人.最高峰,宮之浦岳はまだまだこの先にあるという.もうギブアップである.何と懐の深い山であろうか? (屋久島紀行:おわり)
前日の夕食で同席した初老の夫婦は早朝に起きて,もう山へ向かったらしい.私は優雅に7時に朝食を食べている.天気予報が悪いので,今日は山へは行かず,とりあえず島を一周してみようと考えた.
安房から半時計回りに進む.昨日降り立った空港を経て,島最大の街,宮之浦へ着いたころには,どういうわけか雲間から太陽光が注いでおり,種子島の島影もはっきり見えている.何だ?天気予報とは違うではないか? マイナス×マイナスがプラスに転じたというべきか,それとも山に上がらないと決めた私に意地悪しているのか? とにかく,雨でないのは幸運と思っておこう.
宮之浦近くの明るい雑木林に入ってみることにする.次から次へとナガサキアゲハが飛来し,いくつかはモンキアゲハのほか,ツマベニチョウの姿も混じり,ここが南の島であることを改めて認識する.宮之浦川河口近くの河原に吸水に来ているのは,たくさんのアオスジアゲハに混じってミカドアゲハの姿もある.背後の照葉樹林でヒメハルゼミが時折,大声で合唱を始め,花にはヤクシマヒメハナノミが多数集っている.
島の西側,西部林道は手つかずの大規模な照葉樹林があり,世界自然遺産のメインエリアのひとつとなっている.島の外周道路の中ではもっとも険しく,片側通行になっている.しかし,シーズンオフであるせいか,対向車はほとんど全く来ない.ヒメハルゼミの大合唱を聞きながらアップダウンの道を進むと,道路の真ん中で鹿と猿がなかよく寝そべっている姿も見られた.
いつしか,西部林道の照葉樹林に夕日が照りつける時間になっていた.まだ島の半周しか来ていない.ノンストップで東側の安房へ戻ったときには,夏至翌日の長い日が暮れかかる時間になっていた.山に再びかかり始めたどんよりとした白雲と,安房の街を濡らす俄(にわか)雨が,明日への不安を暗示しているかのようであった.(その3)はこちら.
梅雨の末期,観光オフシーズンのまっただ中に鹿児島空港から飛び立ったプロペラ機は,10数人程度の乗客で空席だらけである.桜島の雄大な姿を見下ろしながら,屋久島に着いたのは午後のことであった.
屋久島は「一月に35日雨が降る」といわれる雨の島である.雨男の私が行くことで,「マイナス×マイナス」の効果で梅雨空がプラスに転じ,晴れると信じていた.しかし,どうやら間違って「マイナス+マイナス」をしてしまったようだ.屋久島空港に降り立った私を迎えてくれたのは,ひどい雨であった.
とりあえず,島の東側の街,安房(あんぼう)の宿舎へ向かい,近くにある展示施設「屋久杉自然館」を訪れることにした.地図で見れば宿のすぐそばで,とても近いのであるが,実際に傘をさしながら歩いてみるとずいぶん遠い.やはり頭のどこかに「島」という思いこみがあるようだ.
自然館の見学を終えて宿舎へ戻ると,案内された部屋は幸運にも建物の東端で,安房川が太平洋へ注ぐ雄大なパノラマが北側と東側に拡がっている.ただ,山はどんよりとした雲に包まれていて,その様相をうかがい知ることのないまま日が暮れていった.
天気予報は明日は降水確率100%と言っているから,もう悪あがきしてもしょうがない.足りない予習を補うべく,湯本貴和さんの著書「屋久島」(講談社:刊)を開くことにした.屋久島の自然を扱った本はいくつかあるが,専門の植物学を初めとした豊富な知識と長い滞在経験に裏打ちされた言葉は実に臨場感にあふれており,屋久島滞在にあたってのイメージトレーニングを行うには最高の一冊であった.点々と連なる橙色の街灯に照らされた安房川の川面を見下ろし,時折降る激しい雨音を聞きながら,この本に大いに心奪われ,時間を忘れて読み終えたときには午前3時をまわっていた.(その2)はこちら.
●岩湧山の昆虫(990607)(メーリングリスト[omnh: 1487]より)
博物館の行事「地域自然誌・岩湧山」が6月6日に開催されました.大津にすむ私は集合前に南海・紀見峠駅周辺(河内長野市)を探索するために,5時半起床,6時すぎの電車に乗って現地に向かいました.
体長1センチを超す巨大テントウムシ,ハラグロオオテントウは岩湧山登山の登り口の紀見峠側にも河内長野市加賀田周辺にも,たくさん産地があるようです(クワの木をさがすとよい).しかし成虫そのものはまだのようで,まるまる太った終齢幼虫やサナギがたくさん見られました.そして,ハラグロのついているクワの木には,ほとんど必ずといってよいほどシロジュウシホシ(白14 星)テントウがついています.おそらく同様にクワキジラミを捕食しているものと思われます.
越が滝から少し上がったあたりの植林地帯でヒラヒラと僕の帽子にとまりかけ,ヒノキの幹にとまったのは他ならぬムカシヤンマでした.急な坂道を進行方向と逆に下って飛んでいったのですが,最終的には取り逃がしてしまいました(あんなに採りやすいトンボを逃すとは,と笑われそうですが).打ちひしがれているところに急坂の登山.すっかりばててしまい,三合目についたときにはもう帰ろうかと本気で思ってしまいました.
最終的には岩湧寺の下の道(加賀田)で参加者のひとりが電柱にとまっているムカシヤンマを採集され,リベンジを果たしてもらいました.
山頂近くの植林地帯で「ご当地もの」のイワワキオサムシも見られ,山頂部のカヤ場周辺に赤い翅のドロノキハムシがうじゃうじゃいたのが印象的でした.初夏のすがすがしい風に吹かれ,やっぱりてっぺんまで登ってよかった,とつくづく思いました.
その他の昆虫リストについては,また別の機会に.(たぶん友の会自然観察地図改訂時)
鳥vs.甲虫.ホームページの訪問件数ではない.たわいもないが,「しりとり」の話である.
先日,学芸員5名で調査に出た折り,時間があったので「しりとり」としようという提案がW学芸員からあった.
ルールはそれぞれの「専門分野」の「日本」産の「和名」に限り,外国産や学名,「リュウキュウカラスバト」のような絶滅種は不可.属名や亜種名もダメで,「種」名に限る.最後に「ん」のつくものはもちろん不可である.鳥は日本産で550種程度,甲虫は図鑑に載っているものだけでも6千種以上あるので,ふつうに考えれば甲虫の圧勝である.
しかし,結果はあっさり甲虫が鳥に負けてしまった.敗因のひとつは鳥には最後に「シジュウカラ」「ヤマガラ」など「ラ」のつくものが多く,それを答えなければならない状況が多かったことがある.1回目は「ララサンヒメハナノミ」,2回目は「ラミーカミキリ」(F学芸員のアシストによる)と答えたが,3回目でついにgive upしてしまった.
あまりにも悔しいので,甲虫図鑑で「ラ」のつく学名の甲虫を調べてみたところ,他にも以下のように7種も掲載されていた.以後,和名しりとりをする方のために,記しておく.
ついにその日がきてしまった.よりによって,ヨーロッパへの出発の日に.
出発準備をしているところに,ウェブマスターS氏からその結果を聞かされてしまった.正直なところ,まぁ順当かと思う.私も自分のページより和田さんのページ見てるほうが多いもんなぁ.更新頻度もちがうし.自分のページはいつ更新されたかなんて,僕が一番よく知っているしね.
しかし,1回勝ったぐらいで,もうライバルじゃないとか,よくもそこまで言いましたなぁ.ヨーロッパからHP見たっちゅうねん.
まぁ,雪辱は新連載の「しやけ箱」で期したいと思います.
というわけで,かならず「しやけのドイツ箱」から「ドイツのしやけ箱」へ入って下さいね(個人タイトル争いはトップページでのアクセス数が集計されるのです).
「ノストラダムスの大予言」を初めて読んだ小学生のころ,「人類滅亡のころには,僕はもうおっさんになってるんやな」と思ったものだったが,その1999年を迎えた今になって気づいたことがある.計算が間違っていなければ,小学生だったあのころは「30歳はおっさんだ」と思っていたのである.とても個人的なことだが,実は明日で30歳である.
20代だったこの10年間を冷静に振り返ってみた.10年前,つまり20歳になったときは,大学の教養部の所属ながらも,すでに昆虫学教室で机をもらっていたから,ようやく昆虫研究歴10ケ年となったわけである.
その後,大学の研究室でもいろいろな経験をしたが,やはり博物館に就職したということが最大の契機だったように思う.のんびりしたペースの好きな人間が,かなりハイペースな毎日に飲み込まれた.出来ないはずのことが出来たりした反面,したいことが出来なくてフラストレーションがたまったりした.その一方で,したくないことも数え切れないぐらいした.それは今でも続いている.
30代の10年間が終わるころ,いったいどのような振り返り方をしているのだろうか? 楽しみよりも不安の方が大きいのが,今の率直な気持ちである.
日常の多様なストレスにさらされている現代社会人.苦虫を噛み潰していないで,甘いキャンディでも口に含んではいかがだろうか.ただし,限度はあるだろう.
博物館の普及センターには常時,あめ玉の入った缶がひとつ置いてあり,通りかかったときにあめ玉をもらいに行く.やすらぎのひとときである.
私はなぜか飴玉を噛むくせがあり,ぼりぼりと一瞬のうちに食べ尽くしてしまう.必然的に食べる数も多くなってしまう.「飴男」だの「キャンディ初宿」だの呼ばれてしまう所以である.月に数回まわってくる普及センター窓口の当番の日などは,飴玉の数が見る見るうちに減っていき,チェーンスモーカーならぬチェーンキャンディ状態となっている.
心配なのは虫歯にならないかどうかと,カロリーの採りすぎである.太って,顔が「腫れ男」になったらどうしよう? (もうなってる,という意見あり)
1月の忙しさは異常だ.週末ごとに大きなイベントがあり,まったく息が抜けない.
虫のいない(いないというのは正しくない,越冬中である)冬に昆虫の学芸員がなぜ忙しいのか,不思議に思われるであろう.私自身が最も不思議に思っているかもしれない.
おとそ気分の抜けていない9〜10日はどきどき自然史ウォッチィングという小学生相手の館内裏方見学(ツアーを3回組んだが,3回ともツアーコンダクターを担当),15〜17日は野尻湖昆虫グループの冬合宿(記録をホームページhttp://www.mus-nh.city.osaka.jp/shiyake/nojiriko-menu.htmlに掲載します),今週末は友の会評議員会(小生は友の会担当なので,いろいろ準備せねばならない),そして今月末の週末,1月31日には友の会総会という最も大きなイベントが待っている.
平日はというと,週末のイベント類の準備のほか,Nature Study2月号を編集担当にあたっているうえ,いくつかの記事に関わっているので,その準備などにすっかり追われてしまっている.
しかし,実はこのヤマを超えると,「夢」のひとつ(こちら)がかなうことになっている.その「夢」にむかって,今はがんばるしかない,と自分に言い聞かせている毎日である.
なお,「夢」については,かなった暁にくわしくお話することになると思います.それまでお待ちあれ.
(なお「夢」はもちろん年齢のことではない.これは,むしろ「悪夢」かもしれない.→博物館友の会誌Nature Study1月号の編集後記をごらんください)
最近私がマスコミに出る機会が増えている.
ブタクサハムシの記事(毎日新聞11月24日)のあと,兵隊虫(読売新聞11月27日),テントウムシ(東海テレビ12月13日).今日も日経新聞が取材に来られた.
兵隊虫の方は読売新聞の編集委員の方のご厚意で,11月27日の結果報告記事を(当館の某学芸員のコラムのすぐ上に)はるかに大きく掲載してくださったし(読売新聞夕刊12月18日),毎日放送ラジオはブタクサハムシについての毎日新聞の記事をごらんになって取材にこられ,12月17日に放送になっている.このように,蒔いた種が根を伸ばしていくというような状況も生まれている.ちょっと有名人気取りである.
しかし,テントウムシについての取材だった東海テレビのほうは,関西でも放映の予定が別のものに差し変わってしまい,名古屋地区だけの放映になってしまったらしい(残念!).
私たち学芸員は,専門家として社会に貢献せねばならない立場でもあるし,マスコミに出ることは博物館での活動を社会の人たちに理解してもらうためにも,必要なことだと考えている.これからも取材は出来るだけ受けるようにこころがけようと思っている.
特別展「都市の自然」は10月11日に無事に終了した.今回の特別展で来館者に大きなインパクトを与えた家の中の造作の拡大模型たちを,昨日片付けることにした.タバコシバンムシやヒメマルカツオブシムシなどは研究室の置物にしてもいいぐらいの可愛らしい模型であるが,蚊(アカイエカ)は脚が細いので直接箱に収納するわけにいかず,木の枠で釣り下げた状態で保存しなければならない.
さらにやっかいなのがクロゴキブリである.体長40cmもあるものを作ったのはいいが,段ボールに入りきらないし,また広い収納スペースを確保するのがたいへんである.なんとか模型業者から納品された形に納めて,収蔵庫へ移動させるべく台車に乗せた.
ところが,この時期は折しも秋の遠足シーズンで,展示室内にはたくさんの小学生の団体が見学に来ていた.特別展示室から収蔵庫にいくためには,どうしても展示室内のギャラリーを通らなくてはならないのである.
拡大模型の乗った台車を押しすすめていくと,ほどなく小学生たちが「うわぁ,ゴキブリや!」と寄ってきて,たちまちまわりに人垣ができてしまった.「でっかいゴキブリ,これ本物?」「どうやって作ったん?」「さわっていい?」など,矢継ぎばやの質問攻め.引率の女性の先生のひとりは,見た瞬間に「きゃー」と金切り声をあげておられた.それでまた人が寄ってくるという悪循環.周囲に大騒動を起こしながら,なんとか収蔵庫にたどりついた.
都市の自然での大活躍だったゴキブリ君,なんとか常設展示でも出してあげたいものである.
占いや相性判断など,血液型はとかく話題にのぼることは多い.A型だと○○,O型だと△△,などと典型的なタイプがあるといわれている.小生は一般に「自分勝手」「凝り性」など,たいていあまりよい言われ方はしないB型である.
虫を調べている人(俗に虫屋と呼ばれる)にはB型が多いという噂がある.その噂の発生源は小生で,かつて所属していた大学の研究室にB型が多かったことに由来している.しかし,本当にそうなのかどうか,自然史博物館・昆虫研究室に出入りしている虫屋(学芸員をふくむ)の17人の血液型を調べてみた.
その結果・・・・
1位:B型で9人
2位:A型とO型で各4人
4位:AB型で0人
ということで,やはりB型が1位となった.日本人の平均はおおまかにA: O: B: ABが4: 3: 2: 1になっているというから,これは大きくかたよっていると言わざるをえない.
昆虫学会か何かの大きな単位で一度調べてみたいものである.
自然史博物館では毎月第2土曜に自然史講座という行事を行っている.博物館の学芸員が自分の研究成果や最近のトピックスなどを90分間講演するというものである.野外での普及行事ではいろいろな解説することは多いが,行事として壇上でOHPやスライドなどを用いて話す機会というのは年に1回のこの行事だけである.
私は,一昨年(96年)は「虫の4億年と人類」(特別展・昆虫化石に関連:78人),昨年(97年)は「大阪のテントウムシ」(105人:カラープレートを先着順に配布としたのが効いたらしい)と観客動員数が各年度で最も多かった.
今年は特別展・都市の自然に関連した「大阪の都市昆虫」というタイトルで,9月12日に講演を行った.69名(テキスト残部からの推定:名簿上は60名)の観客があり,とりあえず今年度のトップには立った(と思う).
ぜひ3年連続をねらいたいものだ. →10月担当の佐久間学芸員に負けてしまいました.
乗降客の多い主要駅に行くと,しばしばいわゆるタッチパネル式の案内板を目にする.多くの場合,その駅周辺の観光名所や文化施設案内などが地図や写真つきで掲載されており,希望すればプリントも自動でしてくれる.
大阪市の市営地下鉄でも同様の案内板を主要駅に設けているのであるが,ここでは文化施設案内として,それぞれのホームページに直接つないで紹介がされている.
ということは,自然史博物館のホームページも各駅から見ることができ,当然ながら,この「しやけのドイツ箱」も梅田や難波の人通りの多いなかで,全容を見ることができるのである.
私はJR東海道線沿線に住んでいるので,毎日梅田で地下鉄御堂筋線に乗り換えて博物館に出勤している.時間がある時はそのタッチパネルの案内板を見にいくのであるが,なぜか必ずといっていいほど,「しやけのドイツ箱」はすでに訪問済みの色に変わっている.何度かは自然史博物館ホームページのおもな項目の中で,「しやけのドイツ箱」だけが色が変わっていることもあった.これはきっと誰か熱烈なファンがいるにちがいない.
そのファンの方,ぜひお便りください.粗品を差し上げる・・・・かもしれません.
あて先:〒546-0034 大阪市東住吉区長居公園1-23 自然史博物館・初宿まで.FAXは06-6697-6225です.
汽水域に生息するトンボとして有名なヒヌマイトトンボが,淀川河口に生息していることが知られている.全国的にみても生息地のさほど知られていないトンボが,大阪の都会の真ん中に生息しているのである.自然の甚だ少ない大阪にとってはたいへん貴重な存在である.
しばらくその調査をしていなかったということもあって,昆虫を研究している者3名で7月10日に確認に行くことになった.絶滅しているわけではなさそうだ,との話をあらかじめ聞いていたので,きっと見つかるだろうと思っていたが,1時間程度の調査を3度行い,日が暮れるころまで粘ってみたが,結局見つけることができなかった.
今年は季節の遷移が早いので,もう発生が終わってしまったのかもしれない.絶滅していないことを祈りたいものである.
私たちの博物館には「ヒゲの学芸員」もいて,ある種のトレードマークになっているが,なぜか最近になって,急に口のまわりに黒いものを生やしている汚らしい学芸員がいる.それは私である.
無精ヒゲは短いながらも生やしていたことはあるが,ここまで伸びたのは初めてのことである.「熊みたい」「なんか虫に似てきた」「カール(お菓子)のおじさん」「むかしテレビに出ていた●●(それ誰や?)」など,まわりの人はわりと好き放題言う.どうやら私はヒゲが似合わないらしく,概ね評判は悪いようだ.横顔だけみて,「あっ,ついに剃っちゃったの?」という人まで現れた.
伸ばしている最大の理由は,計画よりも大幅に遅れている「特別展解説書の執筆」である.書きあがるまで自らにプレッシャーをかけようというわけであるが,実際には依然として「遅々として母」の状態で,単にいろいろな人からの反応がおもしろくてヒゲをのばしている,という感じにさえなってきた.
特別展解説書が書き上がれば剃ることにしているが,同書の編集担当者(小生は迷惑をかけている)からは「もし書き上がらなかったらどうするのだ?」というするどいツッコミを受けてしまった.近くにいた別の学芸員から「その汚いヒゲは残して,髪を全部剃れ」と言われている.
あ〜〜こわ.
(中間報告と情報提供のおねがい)(980523) 「こちらに新たにページを開設しました」
当ホームページで「兵隊虫」と呼ばれる虫についての情報提供をおねがいしました(こちら).他にも,サークルの連絡誌や博物館友の会のNature Studyを通じた情報提供を呼びかけていたのですが,意外に多くの方から反応がありました.ここに中間報告をしておきます.
結論からいいますと,これは大阪のごく一部で甲虫のカミキリモドキ類,とくに全体が黄色くて翅の先が黒い「ツマグロカミキリモドキ」のことを呼ぶ言葉のようです.
カミキリモドキ類の多くは体液にカンタリジンという物質を含んでおり,これが人の皮膚に触れると腫れ上がってしまいます.
ところが,子供時代にこの虫を肘(ひじ)の内側に挟んで「勝負」を挑む,という遊びをしていたということを何人かの方から聞き,大変驚きました.運が悪ければ肘の内側にたくさんの水ぶくれを作ってしまうことになります.
現在調べた範囲では,この風習はほぼ大阪市内に限られていて,とりわけツマグロカミキリモドキの多いといわれる海岸部(西淀川区,大正区など)に目立っているという印象もあります.しかし,城東区や生野区,平野区など内陸部の方からも情報をいただいてますので,一概には言えないかもしれません.
そこで,このような遊びを経験された読者のみなさんからの情報を募集したいと思います.宛先は自然史博物館・昆虫研究室の初宿までご連絡をお待ちしています.連絡手段は電話やハガキのほか,FAX06-6697-6225や電子メールshiyake@mus-nh.city.osaka.jpでも結構です.
この兵隊虫についての詳しい報告は,この遊びの分布図などとともに,改めて当ホームページやNature Study誌で掲載しようと考えています.
ご協力をお願いします.
●「中国の甲虫」日本甲虫学会例会(9/27)で講演します(980415)
日本甲虫学会はしばらくの間,年に一回(12月の第2日曜)大会を開いていただけだったが,一昨年あたりから例会が復活した.3月29日に今年第一回の例会を開いたが,思いのほか多数の参加者があった.
6月の採集会をはさみ,第2回の例会は9月27日に大阪市立自然史博物館で開かれるが,ここで私が講演する予定となっている.今のところは1997年夏に行った中国・泰嶺山脈での調査のもようをお話しようと考えている.
どうぞ,たくさんお集まりください.(甲虫学会ホームページもよろしく)
私たちがよく知っているナナホシテントウはユーラシア大陸に広く分布していて,比較的ふつうに見られることと,愛らしい姿からも,各地で親しみのある虫として知られているようです.
ならば,いろいろな言語でこの虫を示す言葉があるのではないだろうか? そう考えて,ホームページに英語ページを作って世界に発信し,情報を求めてきました.
このほど,この件に関し,初めて反応がありました.ドイツの方から電子メールをいただき,ドイツ語でナナホシテントウのことをどう呼んでいるか,教えてもらいました.やはり7つの星のテントウムシ,という意味の言葉のようです.(こちら)
主要言語のうち,スペイン語,ポルトガル語,スウェーデン語などのほか,中央アジア諸国などで何と呼んでいるか,まだ情報がありません.ぜひそちら方面にくわしいかた,知り合いにこれらの国の出身者がいるかた,ぜひ尋ねてくださいませんか?
メールのあて先は,shiyake@mus-nh.city.osaka.jpです.
自然史博物館では毎年春休みの時期に新収資料展を開催している.この展示会は前の年度に新しく博物館にはいった資料のうち,おもな物を市民のみなさんに公開する,というものである.
博物館50年の歴史で昆虫の標本資料はこれまでおよそ50万点あり,単純なわり算では年に1万点ずつ増えていることになるが,この計算は意外に実状にあっていて,現在でもだいたい年に1万点というペースで昆虫標本は増えていっている.数年前の時点では当館の昆虫標本数は全国の研究施設の第10位だったが,このペースなら現在ではもう少し上に上がっているのではないだろうか.(なお,近畿ではナンバーワンである)
ところで,昆虫の標本には種名まで記されず,「●●の一種」という表示ばかりだ,との記述をあるホームページで見た.甲虫は種数が多い(日本全体で記録されているのが1万種,実際はその数倍)のみならず,きちんとした図鑑などが整備されているわけではない.とくに今回扱った中国大陸のものなどは,まだまだ研究そのものが発展途上で,種まで同定するなど,まったく不可能なのである.
種名が記されていては,かえって怪しいぐらいだと思う.昆虫の分類研究の現状はこんなもんなのだ.
ブタクサハムシは北米原産のハムシ科甲虫で,関東方面では手が付けられないほど増えているという.関西ではこれまで記録がなかったが,10月12日に行われた当館の行事「バッタのオリンピック」で,枚方市磯島の淀川河川敷で本種が関西で初めて発見された.この行事に参加していた河上康子氏は高槻市で10月27日に2例目の発見をされている.(友の会機関誌Nature Study3月号に市川顕彦氏らによる報告が掲載)
関東方面では平地に広がったことから,関西でもこれから同じように平地に定着するものと思われます.この拡がるようすを知るためには今年,つまり1998年が鍵となる年になります.
このブタクサハムシを見たら,自然史博物館の初宿までお知らせ下さい.情報をお待ちしています.
上翅の筋が特徴です.(写真は細井孝昭氏提供)
みなさんご存知のとおり,博物館のホームページには訪問者数のカウンターが設置されていて,5000,6000などの区切りの訪問者になった場合には記念品がもらえることになっている.
もちろん,博物館の職員が自分たちのホームページを見ることもある.とくに他の学芸員の個人ホームページがどのように更新されているか,グレードアップしているか,おもしろいことを書いてないか,など,実はおたがい結構気にしているのである.最近では,W学芸員のビジュアル化にとてもびびってしまったりした.
昨日(3/2)のことであった.なにか更新されてないかな,とホームページをのぞいてみたところ,7776番であることに気がついた.何とか7777を,と思い,「しやけのドイツ箱」の表紙だけのぞいて7777を無事にGETした(午後6時ちょうどごろ).
7が4つもそろうと,とても気持ちのいいものだ.monitorさん,私にも何か記念品をください.
博物館では市民の方から電話でさまざまな質問を受ける.意外に困るのが「手元の虫は何ですか?」の類だ.電話では形がよくわからないのである.よくある質問は聞いてわかることもあるが,そうでない場合は「たぶん○○のなかまでしょう」で終わってしまうことが多い.
今日,もっとも困ったのが「兵隊虫ってどんな虫ですか?」という質問だった.ヘッピリムシやヘコキムシなどはある程度想像がつくが,「兵隊虫」というのは私は初めて耳にしたことばであった.
いろいろ調べてみた結果,言葉としてはどうやら確かに存在しているらしい.いったいどの虫のことなのか,ご存知のかたはメールをください.
email: shiyake@mus-nh.city.osaka.jp
ハネカクシ科を中心とする甲虫類に関心をもつ集まりとして,ハネカクシ談話会がある.関東では千葉県立中央博物館を中心にすでに発足しているが,関西にも拠点を,とのことで,1998年1月15日,第1回の会合が大阪市立自然史博物館でもたれた.ハネカクシ科の高名な研究者から昆虫に関心のある中学1年生まで,幅広い層の参加があった.また関西だけでなく,岡山や熊本からの参加者もあり,分類の難しいハネカクシに対する関心がかなり高いことがわかった.
事務局はハネカクシの分類研究者の林靖彦氏(兵庫県川西市)のところにおき,今後,連絡誌発行のほか,例会,採集会などの催しが行われることになっている.
入会の申込み・お問い合わせは日本甲虫学会の林靖彦氏まで.連絡先が不明の方は,とりあえず,shiyake@mus-nh.city.osaka.jpまでメールをいただければ,こちらから林氏に連絡します.
1997年11月2日に館内で行われた「友の会・秋のつどい」では,友の会の人たちに博物館の裏方へ入ってもらい,収蔵庫や研究機器などの説明のほか,学芸員の机のようす(!)までも紹介するものだった.私は誰の机であるかを示す札を作成する役にあたったのだが,学芸員の中には机の上や周辺がワイルドすぎて,名前を示す札が目立たない恐れがでてきた.そのため,初宿色(むらさき地に黄文字)で巨大な名札を作成した.各学芸員からは口々に「初宿色やね」と言われた(苦笑いで).
今年に入ってからのある日,京都市美術館で開かれた「日展」に出かけた.日本美術界の巨匠たちの作品がアンティークな建物に一堂に会していたのだが,ある超有名な日本画家の作品は紫色の背景の中に黄色い落ち葉が舞う,という内容のものであった.私は思わず,「あっ,初宿色」とつぶやいてしまった.
初宿色は美術界の巨匠にも通じるものがあるのだ.
12月1日に行った健康診断の結果が通知された.その通知書には気になる肥満度の計算方法が記されていた.それによると身長(m)の二乗に22をかけた値を「標準体重」とし,それより何パーセント多いか(あるいは少ないか)で算出されるようだ.
私の場合は69.0kgが標準体重のところが,実際は71.8kgなので,+4%の肥満度という結果であった.プラスマイナス9%以内がその基準値(つまり尋常な値)ということ.よって,私は太っているわけではなく「ふつう」であることが証明された.
このごろは参考記録ながらコンスタントに60kg台を記録しているので,夢のひとつがかなった,とここで高らかに宣言してもいいと考えている.(つづく?)
●琵琶湖からの海浜性甲虫の発見(自然史研究2巻13号に記事)(971216)
大阪市立自然史博物館のOccasional Paper「自然史研究」の最新号が発刊になりました.今号のタイトルは「琵琶湖岸の砂浜環境における甲虫相 -海浜性甲虫の分布-」(著:初宿成彦)です.琵琶湖岸に海浜植物が分布することはすでに知られていますが,甲虫にも海浜性のものが分布していることがわかりました.1994年に当館で開催された特別展「琵琶湖 -おいたちと生物-」の前後に行った調査研究のうち,琵琶湖の砂浜13カ所で行った地表性甲虫類についての報告です.
「自然史研究」は自然史博物館の普及センターにて販売しています.(一部300円)
左上より:オサムシモドキ,ニセハマベエンマムシ,スナサビキコリ
左下より;シラケチビミズギワコメツキ,アカアシコハナコメツキ,マルチビゴミムシダマシ
●大阪湾における最近のヒョウタンゴミムシの記録(Nature Study12月号に記事)(971211)
このホームページにもあるように,私は共同で海浜性甲虫の調査を行っていますが,大阪湾岸にもまだヒョウタンゴミムシが生息していることがわかり,このたびNature Studyに短報として報告しました(河上康子氏と共著).自然海岸の残っているところではさほど珍しい種類ではないのでしょうが,大阪湾は淡路島以外はほとんど砂浜と呼べるところがなくなっている状況です.そんななかで見つけることができたのは,とても喜ばしいことでした.(ちなみに東京湾でも内湾では富津岬付近あたりにしか生息地がないようだ)
今回はとりあえず最も大きな種類を報告しましたが,調査では他にも海浜性甲虫がたくさん見つかっています.何かの形でまとめて報告したいと思っています.(記事の詳細はNature Study本誌をご覧ください)
私たち学芸員は大阪市の公務員とはいっても,土日に客商売をする業種である.ローテーションにより原則として3週のうち2週は土日が休み,ということになってはいるのであるが,そんなものはすでに崩壊していて,観察会などの普及行事やサークルのお手伝いなどで土日からどんどんスケジュールが埋まっていく.月曜日が閉館日なのでその日に代休をとることが多くなる.
「平日が休みとはうらやましい,どこにいっても空いていていいじゃないですか?」といわれることもある.たしかにその要素はないことはないが,床屋,博物館,動物園など,世の中「月曜日が休み」というところが意外に多いのだ.
昨日は久々に日曜日の休みをいただいた.まず床屋に行き(東幹久風の髪型にしてもらった),地域のチャリティーバザーに行って掘り出し物を見つけ,高校時代の友達に会いに行き,人混みの中で買い物を済ませた後(タイムサービスでええもんを買った),帰宅して日曜ならではの見応えのあるテレビ番組を見た.ちょっと疲れたけど,休みらしい休みだった.月曜ではこんな休みは無理なのである.
(おまけ.日曜日だから東幹久風の髪型が成功したとはいえない.火曜でも金曜でも失敗だっただろう.「学芸員も歯が命」.)
●夢,一瞬かなう(「肥満度が減った」その4) (971203)
健康診断(下記)のあった翌日は休日だったので,仕事を片付けておこうと遅くまで残ってしまった.夜も更けた頃に地下鉄N駅前の中華料理店で腹ごしらえをして帰宅するつもりだったが,残念ながらその日は休業だった.しょうがなく,酒のつまみのようなアーモンドとピーナッツをかじりながら家路についた.自宅ではすでに妻と娘は寝ていたので,私は何もたべずに寝た.
その翌日(つまり昨日)は昼頃起床した.夕食は家族と焼き肉食べ放題に行く予定をしていたので,昼食はごく軽くコーンフレークだけで備えることにしたが,「もしかしてずいぶん体重が減っているのではないだろうか」と体重計にのってみた.すると,なんと最小瞬間体重(気象情報で「最大瞬間風速」というのがある)で69.5kgを指したではないですか!.(うれしくて,思わず記念撮影をしようと思ったが,ビデオカメラをもって載ると70.0kgを超えてしまう.わが家の体重計は500g単位の表示しかできないのだ.)
夕方には動けなくなるほど焼き肉を食べたので,言うまでもなく体重は再び70台に.それどころか,胃がいったん拡張してしまったので,今日は朝からすごい勢いで食べています.これってリバウンド?.あぁ,体重計にのるのがこわい.
●身長が伸びた?(「体重が減った」改め「肥満度が減った」その3)(971201)
大阪市職員は年に1回健康診断を受けることになっている.自然史博物館に近い東住吉区役所にも診断所が開設される期間もあるのだが,仕事の都合がつかず,結局この時期に淀屋橋の大阪市役所(本庁)まで行くことになってしまった.
体重は昨年より大幅な減少だったが(もちろんね!),驚いたことには,なぜか身長が伸びてたのである.昨年は173cmと記されたため(数年前の計測),日ごろ人から聞かれたときにこのように答えていたが(もうちょっとあるんとちゃうん?とよく言われた),今回実際に測ってみると177.1cmだった.この定期健康診断の結果票に表示される「肥満度」は,分母に身長,分子に体重が含まれた計算式で算出されるので,きっと昨年より大幅に減っているだろう.
ところで,「体重が減った,その2」の後の報告をしておきたい.体重はその後若干増加してしまい(健康診断の計測で71.8kg),「70」の壁は結局破られなかった.体重が思ったよりなかなか減らないので,サブタイトルを上のように改めることにした次第です.(つづく?)
甲虫類を扱う学会は日本に2つ存在している.日本甲虫学会(昆虫学評論,ねじればね)と日本鞘翅学会(Elytra,甲虫ニュース)である.鞘翅学会の第10回記念大会が11月15-16日に小田原の神奈川県立生命の星地球博物館で開催され,私はこのたび初めて参加してきた.記念大会ということで全国からたくさんの甲虫研究者が参加しており,同館のホールが満杯になるほどの盛況であった.
一般講演やポスターセッションなどもあったほか,2日目最後には分類群にわかれた「分科会」も開かれた.そのひとつに「ハナノミ分科会」も設けられ,参加者は少なかったものの,互いにいろいろな意見の交換も行うことができた.たいへん有意義な2日間であった.
大津市にあるわが家は,琵琶湖を見晴らせる7階建てマンションの6階にあり,8月8日のびわこ花火大会は大迫力で見ることができる.
しかし,琵琶湖を見晴らせることで,毎年11月には悩まされることがある.大型のユスリカが灯りにひかれて,たくさん飛来するからである.
この正体はアカムシユスリカで,体長はおよそ1cm.琵琶湖,特に水質汚濁の激しい南湖の湖底から発生しているものであるという.閉め切った家の中だけでも数匹,外部に面したマンションのエレベータでも常に約10匹,湖岸のコンビニエンスストアなどではおびただしい数のユスリカが窓ガラスに張り付いている.
洗濯物や布団などにもたくさんつくので,大津市民を大いに悩ませているものの,すっかり秋の終わりの風物詩となってしまった感もある.
比良の雪化粧もまもないだろう.
自然史博物館では企画展示のパネルなどを原則として自前でつくっている.展示会が近づくとコンピュータでテキストの文字を加工し,デザインして大きなプリンターで打ち出す,という作業が山のようになってしまう.ひとつひとつ加工して打ち出すという地味な作業が必要となる.
某社製の大型プリンター(けっこう気むずかしい奴)のご機嫌を比較的うまくとることができるためか,私にしばしばこの仕事がまわってくるのだが,いつのまにか,当館の学芸員の間では「初宿色」なる言葉が定着してしまった.
「初宿色」というのは,たとえば紫地に黄文字,黄色地に赤文字,などの派手派手の色彩センスのことをいう.「展示は目立つことが必要だ」という信念から,本来の地味な性格のところを無理をして(!)派手にデザインしているのだが,学芸の間での評判は決してよくないようだ.
しかし,聞くところによると,かつて昆虫研究室にいた日浦勇氏も同様の色彩センスをしていたという.これはきっと昆虫研究室の伝統にちがいない.
●「夢」へ王手?(体重が減った,その2)(971020追加)
「○○は風邪をひかない」というが,このたび風邪をひいてしまった.何年ぶりだろうか?.皮下脂肪が減ったためだろうか?.仕事が忙しすぎて不規則な生活になったがまずかったのだろうか.
ところが,怪我の功名というべきか,再び上昇傾向だった体重が風邪のおかげで減少し,10月19日の朝の段階で参考記録(?)ながら70.0kgを記録した(なお,参考記録というのは朝食前,排便後の意味).
その後,風邪はおかげさまで回復傾向.でも気持ちはちょっと複雑.食欲が回復してきてしまったのだ.
風邪よ,直らないで!.
(経過についてはこちらをごらんください)
●この夏,大阪ではセミが2年ぶりの大発生(971010追加)
大阪市立自然史博物館・友の会では毎年,大阪市西区靱公園にてセミのぬけがら調査を行っている.公園中のセミのぬけがらを取り尽くし,その年の発生状況はどうであるかを比較するものである.
5年目の1997年の調査会が8月30日に行われ,その結果が10月10日発行の同会会誌Nature Study誌上で公表された.それによると,1997年のセミは1995年の大発生には大きくおよばないものの,平年のおよそ3倍の26,507個のぬけがらが見つかり,2年ぶりの大発生であることがわかった.種類としては,アブラゼミがクマゼミを3年連続上回っている.
くわしくは同誌を参照されたい.
10月3〜5日にかけて,日本昆虫学会大会が福岡市の九州大学・六本松キャンパスで開かれました.この大会には私はできるだけ毎年参加し,講演をするように心がけています.しかし,今回は準備時間がなく,納得できる形で講演ができなかったのがとても残念でした.何せ,講演要旨完成が中国出発前日(投函は関西国際空港の郵便局!),スライドの作図と撮影が大会出発前日,講演内容を新幹線(のぞみ)の中で練り,宿舎で原稿打ち出し(パソコンとプリンターを福岡へ持っていったのだ!),という状態だったのです.
いつもなら,もう少しマシな状態で学会をむかえているはずですが,年々博物館の仕事が異常な忙しさとなり,ついにここまで落ちたか!と自己嫌悪の状態になっています.
自分と同年代の人たちが頑張っている姿をみると,自分もがんばらねば,と大きな刺激になりました.
●北ベトナムの新種,ヴァリイモルダ・シヤケイ(971002追加)
生物の学名は一見,意味不明のアルファベットでつづられていますが,実はほとんどの場合,何らかの意味をもっています.ふつうはラテン語やギリシャ語でその種類の特徴を示していますが,その他にも分布する地域名やその種の発見に貢献した人の名前をつける場合などもあります.
人名をつける場合,その人(被命名者)が男性であれば,最後に-iをつけます.山田さんならyamadai,田中さんならtanakaiという具合です.
初宿さんならshiyakeiとなるわけですが,このほどshiyakeiという学名の昆虫が発表されました.それは北ベトナムに産するハナノミ科甲虫,キンオビハナノミVariimorda属の一種です.このVariimorda shiyakeiを命名したのはチェコ・プラハのハナノミ研究者,ホラク(Jan Horak)氏で,チェコの動物学の雑誌,Acta Soc. Zool. Bohem.の60号153-164ページに論文が掲載されています.初宿という名の昆虫研究者はもちろん,植物や他の動物の研究者もいないと思われますので,この種類がおそらくshiyakeiの第一号となるでしょう.
私がこの新種の発見になんらかの貢献をしていれば,名前をつけられるに相応しいのでしょうが,残念ながら私は彼とは多少の標本交換と別刷交換をしている程度で,この新種の発見や研究にはほとんど全く貢献はしていません.何か気恥ずかしい気持ちです.
10月1日,大阪府泉大津市の埋立地,助松埠頭で調査を行いました.この調査は来年開催予定の特別展「都市の自然」に関連したもので,博物館から各分野の学芸員8名が参加しました.
調査地はまだ造成中なので空き地の部分がかなり多く,トノサマバッタやショウリョウバッタ,クルマバッタモドキなどのバッタ天国でした.水たまりもけっこうあって,ハイイロゲンゴロウ,旋回するギンヤンマ,ウスバキトンボ,コノシメトンボなどのすがたもありました.
テントウムシは帰化種御三家のうちの2種,ミスジキイロテントウとクモガタテントウ(後者は和田学芸員採集)が見つかりましたが,セアカゴケグモのすがたは確認していません.生息していそうなところはたくさんありました.
●たいへんだったNature Study10月号編集(971002追加)
博物館友の会の会誌NatureStudyはかなり投稿原稿が多い状態になっており,投稿者には長い場合で半年以上掲載を待ってもらっている状態です.そこで,この10月号では思い切って通常12ページのところを4ページ増やして16ページにすることにしました.
10月号の担当は当初から私だったのですが,増ページということで,編集長の佐久間学芸員も手伝って下さいました.しかし,4ページの増加がこれほどたいへんだったとは!!.同じペースで作業をしていたわけではないけれども,かなりの労力がかかりました.再校正でもかなりの変更箇所がでてきており,ほんまに10日の発行に間に合うのか,とっても不安です.
このページをごらんになっている友の会会員の読者のみなさん.もし10日にお手元にNatureStudyが届かなくても,もうしばらく待ってくださいね.
6月14日から7月15日の間,調査研究のために中国・陜西省に行きました.中国調査そのものは2年前の貴州・雲南省につづいて2度目です.いずれも文部省・科学研究費(国際学術研究)によるものです.
西安市の南にそびえる泰嶺山脈はジャイアントパンダの仏坪,トキの洋県,キンシコウの周至など,いくつかの重要な自然保護区を含んでいます.この山脈を中心に調査を行いました.
この山脈の昆虫相は日本のそれに一見とてもよく似ています.仏坪の街の街灯に集まってきたカブトムシは日本と同じ種(角がややほそいため別亜種と扱われている)でした.日本より星の小さなナナホシテントウ(原名亜種)がたくさんいました.ミンミンゼミやツクツクボウシが少し変わった鳴き方をしていたのが印象的でした.(鳥については動物研究室・和田学芸員の個人ホームページをごらんください.)
調査結果は学会誌や博物館の研究報告で公表する予定です.その他にも機会があれば,大阪市立自然史博物館の自然史講座や友の会会誌NatureStudy,このホームページなどでも紹介していきたいと考えています.
学生時代,63kg前後だった体重が,博物館に就職した1993年の1年間で10kgほど増え,その次の年でさらに5kg増え,今年(1997年)の正月の時点では80kgを超えそうにまでなった.定期健康診断によって示される肥満度は学芸員の中でトップ3にはおそらく入っていただろう(多分トップではない).
ところがその後,なぜか体重が徐々に減りはじめ,6月中旬では夢の60kg台が目前となるほどになった.友の会マキノ合宿下見(6/8-9)では赤坂山や三国山を縦走し,きっとこれで夢の60台達成かと思ったが,壁は破れなかった.
6/14-7/15の間,中国に出張した.95年の中国出張ではお腹を2度も壊したせいもあってか,帰国後は4kgも体重が減った.今回もかなり山歩きをした.きっと体重が減っているだろう.そして,夢の60kg台達成か,と思った.
中国では街角に「体重はかり屋さん」や「身長はかり屋さん」がいて,お金を払って体重計に乗せてくれる.帰国前に立ちよった北京の街角のはかり屋さんで測ってもらったところ,出発前とほとんど変わらない.「あぁ,きっとこの機械の性能が悪いせいにちがいない」と思って日本に帰ってきた.結果的には中国の街角のはかり屋さんは正しかった.ぜんぜん体重が変わってないではないか!.(中華料理を食べ過ぎたせいだろうか.)
その後,ハードだった友の会マキノ合宿などに参加したが,実はいまだに70kgの壁を突破できずにいる.ダイエットを意識しているわけではないのだが,「体重60kg台」と胸をはって言いたい私である.