心地のいい夢をみた
シャボン玉のように
風に吹かれて
ふわふわと飛びまわる
昨日のことは忘れた
明日のことは気にしない
今この瞬間を生きる
すぐ弾けてもそれでいい
心地のいい夢をみた
一面の花畑
チョウチョになって
ひらひらと飛びまわる
昨日のことは忘れた
明日のことは気にしない
今この瞬間を生きる
飛べなくなったら死ぬだけ
心地のいい夢をみた
シャボン玉のように
風に吹かれて
ふわふわと飛びまわる
昨日のことは忘れた
明日のことは気にしない
今この瞬間を生きる
すぐ弾けてもそれでいい
心地のいい夢をみた
一面の花畑
チョウチョになって
ひらひらと飛びまわる
昨日のことは忘れた
明日のことは気にしない
今この瞬間を生きる
飛べなくなったら死ぬだけ
砧(きぬた)スタジオと聞くと、むかしのテレビのバラエティ「風雲たけし城」を思い出す。東京の世田谷区砧にあり、広大なエリアに大掛かりなセットが組める場所らしい。
地名の要素分解(初宿, 2021)を考える上で、この「砧」という地名が気になった。「き」+ 連体格助詞 +「タ」(=キ神のおられる場所)と分解できたのだが、現代日本語で「の」あるいは「な」として使われる連体格助詞が、「ぬ」であったと考えていいものか?
「あ・い・う・い・う」の3母音しかない沖縄では、「の」は「ぬ」である。音楽グループBEGINの曲に「島人ぬ宝」という歌がある。
砧の例が特殊であるかといえば、そんなことはないようで、「大貫」「小貫」「小沼」「犬山」などの本土にある地名・人名はいずれも、連体格助詞nuで地名由来が要素分解できる。
本土の5母音が先にあって、沖縄の3母音になったというのが定説らしいが、本土に3母音的な時代、つまり「き-no-た」ではなく「き-nu-た」と読んでいた時代が、東京(※)でもあったのではないだろうか?
※日琉祖語(日本語と琉球語の祖語)の分岐は、紀元後 3 世紀の弥生時代末期または 4~7 世紀の古墳時代というので(Pellard, 2012)、東京といっても、そんな時代の話であるが。
その視点でネット検索をかけてみたら、そのことを述べておられるサイトを見つけた。
「犬」地名、「衣・絹」(きぬ)地名など、はすべて、日本語がnuを使っていたころの名残ではないかと考えている。
引用文献・サイト
「帆人の古代史メモ:琉球論5 古日本語は「3母音」か「5母音」か?」http://blog.livedoor.jp/hohito/archives/1992679.html
Pellard, T. (2012) 日琉祖語の分岐年代 。琉球諸語と古代日本語に関する比較言語学的研究ワークショップ : 1-13. 2012年2月19日・20日、京都大学。
http://kikigengo.jp/nishihara/lib/exe/fetch.php?media=library:references:rkoj-pellard.pdf
初宿成彦(2021) 格助詞に着目した地名の要素分解。地名探究 (19): 59-64.京都地名研究会。