「明けない夜は無い」

しずかな湖畔で
水鳥を眺めてたら
大きな船が通り過ぎて
水面は波を打っていた

それでも水鳥たちは
大きく大きく揺れながら
船が過ぎ去って行くまで
水面が静まるのを待っていた

※逃げたらアカン  投げたらアカン
明けない夜は無いのだから
耐えて耐えて耐え抜いて
心から笑える日を待とう

前に立ちはだかるものは
どこにも必ずあるのだから
それを認めて我慢して
生きることも必要だ

路傍に咲いてる花のように
切り株から出た若芽のように
生きてられるだけで幸せと
感じられる心をつくろう

※逃げたらアカン  投げたらアカン
明けない夜は無いのだから
耐えて耐えて耐え抜いて
心から笑える日を待とう

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「博物館教育論の講義を見学」

 とある大学の「博物館教育論」の講義を見学させていただく機会があった。とはいえ、当日は教官による講義ではなく、学生たちによるアイディア発表会・・・。テーマは博物館・美術館での教育プログラムの計画立案。レポートとはいえ、各学生がアイデアをひねり出し、若いセンスが全面に出ていて、実に面白かった。興味や方向性が十人十色で、レポートを楽しそうにまとめている様子が表情に見て取れた。

 いちおう私が博物館勤務経験者ということで、講評をさせていただく時間を少しいただいた。

 今回はいわゆるPDCA(P計画→D実行→C評価→A再計画)サイクルのうち、Pの計画部分が主なので、果てしなく壮大なプランとかもある。

 私は「実際には次のD(実行段階)で、予算が無い、人手が足りない、広報がうまくいかない、とかなるねんで〜」と夢を潰すような事を言いそうになったが、それは学生たちが社会に出て(博物館でなくとも、民間企業での広報、役所での啓発活動に通じる内容)、その実行段階で現実には挫(くじ)かれればいいことだ。

 私自身が博物館勤務で企画を考える時、大事にしてきたのは、できるだけ楽しいと自分に暗示をかけるようにしてきたということ。「嫌やなぁ、面倒くさいなぁ」と思う企画でも、そうと思ってしまったら、仕事のスピードはどんどん遅れがちだ(そして、いずれ立ち往生する)。他方、気持ちだけでもポジティブに捉えるだけで、スピードは1.2倍、時には1.5倍になる。

 そして(最初は一人でも)楽しそうにやってると、なぜか自然と人が集まってきて、あれこれ私の引出しにはない見地から、新しいアイデアを肉付けしてくれる人がいたりする。

 人間は「人」の「間」って書くんだよなあ、と思ったりする瞬間でもある。

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期待に応えられなかった

期待をいただいてたことは
百も二百も承知です
こんな結果になりました
どうかお許し願います

言い訳しません 負けは負け
決してさぼってたわけじゃない
力の限りを尽くして
一所懸命やりました

今の私の実力は
こんなものだと思います
自信ありげにしてたのは
そうするしかなかったから

明日からはみなさんに
ウソつき野郎と呼ばれます
現実を素直に受け入れ
ひたすら耐える所存です

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偽善者

みんなのため 弱者のため
力になりますと言いながら
いざ任せてみたならば
自分だけ得してやがる

そんなん話が違うやろと
叫んでみてももう遅い
騙し騙され裏切られ
それが政治っていうもの

バッチをキラリ光らせて
ポスターを貼りまくって
センセーは今日もあちこちで
大声を張り上げてます

悔しかったらお前も
俺様みたいに努力しろ
お前程度の力では
どうせ無理だろうけどな

阿呆で馬鹿な国民ども
引っ掛けるのは簡単さ
耳障りのいい言葉を
たくさん並べておけばいい

バッチをキラリ光らせて
ポスターを貼りまくって
センセーは今日もあちこちで
大声を張り上げてます

ああ今日は寝てるだけで
議会は終わりました
ああ明日も暇だから
野次ぐらい飛ばそうか

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人間なんて不平等

食べ物が無くて餓死する 子供たちがいる国と

まだ食べられるものをたくさん 平気で捨てちゃう国がある

※人間なんて不平等 この世は理不尽で出来てる

大物政治家がからんで あそこは補助金もらってる

こちらは明日もわからずに 汗かき自転車を漕いでる

※人間なんて不平等 この世は理不尽で出来てる

ショーケースの中の物が 欲しくて毎日見に来てる

金持ちの家に生まれたら すぐ買ってもらえるのに

※人間なんて不平等 この世は理不尽で出来てる

ルール守ってコツコツと ずっと努力をしてたのに

使っちゃならぬ ずるい手で アイツは手柄を持ってった

※人間なんて不平等 この世は理不尽で出来てる

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48Kのブログを徐々にこちらに移転します。

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夢の中で飛びまわる

心地のいい夢をみた
シャボン玉のように
風に吹かれて
ふわふわと飛びまわる

昨日のことは忘れた
明日のことは気にしない
今この瞬間を生きる
すぐ弾けてもそれでいい

心地のいい夢をみた
一面の花畑
チョウチョになって
ひらひらと飛びまわる

昨日のことは忘れた
明日のことは気にしない
今この瞬間を生きる
飛べなくなったら死ぬだけ

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大和人(やまとぅんちゅ)ぬ宝:古日本語の母音について

 砧(きぬた)スタジオと聞くと、むかしのテレビのバラエティ「風雲たけし城」を思い出す。東京の世田谷区砧にあり、広大なエリアに大掛かりなセットが組める場所らしい。

  地名の要素分解(初宿, 2021)を考える上で、この「砧」という地名が気になった。「き」+ 連体格助詞 +「タ」(=キ神のおられる場所)と分解できたのだが、現代日本語で「の」あるいは「な」として使われる連体格助詞が、「ぬ」であったと考えていいものか?

「あ・い・う・い・う」の3母音しかない沖縄では、「の」は「ぬ」である。音楽グループBEGINの曲に「島人ぬ宝」という歌がある。

 砧の例が特殊であるかといえば、そんなことはないようで、「大貫」「小貫」「小沼」「犬山」などの本土にある地名・人名はいずれも、連体格助詞nuで地名由来が要素分解できる。

 本土の5母音が先にあって、沖縄の3母音になったというのが定説らしいが、本土に3母音的な時代、つまり「き-no-た」ではなく「き-nu-た」と読んでいた時代が、東京(※)でもあったのではないだろうか?

※日琉祖語(日本語と琉球語の祖語)の分岐は、紀元後 3 世紀の弥生時代末期または 4~7 世紀の古墳時代というので(Pellard, 2012)、東京といっても、そんな時代の話であるが。

 その視点でネット検索をかけてみたら、そのことを述べておられるサイトを見つけた。

 「犬」地名、「衣・絹」(きぬ)地名など、はすべて、日本語がnuを使っていたころの名残ではないかと考えている。


引用文献・サイト

「帆人の古代史メモ:琉球論5 古日本語は「3母音」か「5母音」か?」http://blog.livedoor.jp/hohito/archives/1992679.html


図は上記サイトより。

Pellard, T. (2012) 日琉祖語の分岐年代 。琉球諸語と古代日本語に関する比較言語学的研究ワークショップ : 1-13. 2012年2月19日・20日、京都大学。
http://kikigengo.jp/nishihara/lib/exe/fetch.php?media=library:references:rkoj-pellard.pdf

初宿成彦(2021) 格助詞に着目した地名の要素分解。地名探究 (19): 59-64.京都地名研究会。

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