心だけはピカピカ
顔のしわも増えたけど
心だけはピカピカやぞと
君らには言える 自分を信じて新しいことにトライしてる
他人と比べるのはやめた
人の眼を気にしなくなった
自分だけの定規でこの世を計ってる 人として生まれたんやから
自由に生きたらいい
自分のエエとこアカンとこ
そのうち自分で気づくから でも他人には迷惑かけたらアカン
人をわざとつまずかせて
自分の順位を上げたらアカン
負けて気づくほうが多かったりするんやで
挫折未遂
1.挫折とは
「挫折未遂」・・・。最近、ネット界隈で喧しい話題(自民党総裁選の某若手候補かもしくは兵庫県知事のことのどちらか)で見つけた言葉。なぜか私の胸にしっくりくる言葉だった。
挫折とは何かといえば、自分の限界を知った時であると思う。
私自身に関して具体的には、中学生のマラソン大会がそうだった。自分は全力で走っているにも関わらず、倍のスピードで折り返しているクラスメートがいるのを見た時、人には能力差というのものがあると思い知った。
逆に学力テストの点数が他人より倍だった時は、逆の思いをその人にさせたと思う。
人は若いうちに、このような「挫折」を味わって、自分という人間の特性を知る、つまりアイデンティティーを確立させることが、とても大切なのではないかと思っている。その意味では、「運動会でみんなで手をつないでゴール」はダメだと思う。
この「挫折未遂」という言葉が私の胸にしっくりしたのは、その状態と思われる人が身近に何人かいるからだ。以下の人たち(もちろん個人名は出さないが)は、全員が50歳代以上である。今後も失敗を他の人の事(運も含む)のせいにし、他人とは特別の優越した自らを維持し続け、挫折を味わうことはないだろう。
2.挫折未遂者たち
A氏:関東出身。東大受験に失敗し、東京の有名某私大に進学。だが自分は本来は最高ランクにいなくてはならないはずの人間で、そんな有名某私大卒の学歴であってはならない。そのことをどうしても他人に認めさせたい。ああ、そのためにも東大に入りたかった。でも、自分の偏差値だったら京大なら入れたはず。ああ、そうだ。最初からそうだったことにしよう・・・。そして関西にやってきて京大大学院へ進学。こちらからは特に何も聞いてもないのに、自分が「京大卒である」ことをやたら話題に挟んでくる(有名某私大の学歴は隠して:これを学歴ロンダリングという)。「あなたは人間として最高ランクのお墨付きが付いてますね、すごいですね」、そう言ってほしい。何度でも言ってほしい。自分は負けたのではない。
B氏:弟とは5歳差。物心ついてから高校まで、弟には体力でも知識でも、何でも負けたことがない。だが、大人なれば誰にでも長所と短所はあるもの。しかし、還暦になっても、弟が優れている部分がほんの少しでもあることさえ、認めることができない。ウソをついてでも、自分の優越性を見せつけてくる。事あるごとに自慢話を延々と語る(聞かされる)。
C氏:親が甘く育てすぎた。他人から見れば大した能力はないのが明白にも関わらず、幼稚な万能感をこの年齢になっても保持し続けており、「自分は特別有能だ、だから特別扱いされて当然である」という言動を繰り返し、周囲を困らせる。「学会」など一般人が即時に見上げてくれる言葉を一般人の前で連呼する。その学会発表で大したことのない研究発表をする(奇をてらうため、つっこまれないため、わざと聴衆の知識にない内容にして、専門用語で煙に巻く)。実際の学歴としては地方国立大学。もちろん地方国立大学出身で尊敬する立派な方はたくさん知っているが、この人物は「自分は東大医学部に入ろうと思えば入れたが、それをしなかっただけだ」などと学歴を強く意識した豪語する。他人から見れば大した能力はないのが明白にも関わらず・・・(再)。
3.自己愛がもたらす悲劇
これらの人たちに共通点があるのが興味深い。
1.本当の意味での友達が全くいない。だがSNSの時代なので、SNSとしての「友達」はなぜかとても多い(申請しまくれば、そらそうなるわな)。端的に言えば、「外面だけいい」人。だが普段、周りには人は誰も寄り付かない。SNSの時代の前は、自分に来る年賀状が多いことを自慢していた。
2.他人を肩書や学歴などだけで判断し(他に判断基準を持ち合わせていない)、上とみたら、なりふり構わず媚びまくる。下と見た人間には、特に根拠もなく「自分はそちら(偉い人)側の人間である」ことを自慢とともにアピールして露骨に見下し、やたら偉そうにする。パワハラ的な言動も散見される。。
3.その人物に意見をすることがあれば、人格全否定されたかのように、烈火のごとく怒る。なので周りは誰も何も言えない。気に入らない奴は平気で、組織グループから追い出す工作を図る(権力を握ってしまった場合が厄介)。だが他方で実はひとりになったときに、言われたことに対して、じくじく思い悩んでいる=プライドが異常に高い
4.自分の非は絶対というほど認めない。うまくいかなかった理由を、自分のこと以外、あれこれ述べる。当然ながら他責的なものが多く含まれる。
5.賞賛されることを過度に求めるあまり、自慢話が多い。人脈自慢の中には、その出世した人が単なる中学校の同級生だったり(今は連絡不通)、もう亡くなった著名人と「実は親しかった」などと言ってみたり(死人に口なし)、眉唾のことが少なくない。バレない範囲で「話を盛って」いるとみられる。そこを問いただすと不機嫌になり、逆攻撃をしてくる。
6.自分に理想と現実の乖離があることは、口には絶対に出さないが、実は気づいている。でも出来なかったわけではなく、まだやってないだけだと解釈する。逆転満塁ホームランが打てると信じている(打てなかった場合、満塁で自分に回さなかった周囲が悪いと考える)。
このような人たちは「自己愛性パーソナリティ障害」という状況であると思う。私がこのような人に振り回されて悩んでいた時、中村りん氏のyoutube動画に出会って、だいぶ相手を客観的に見ることができるようになった(中村さん、感謝です)。
兵庫県知事もおそらく、これに当てはまるのではないかと思われる。
4.そんなリーダーを選んではいけない
挫折の本当の意味を知るには、挫折をそれと認識する能力(というか性格)が必要なのだと思う。「負けず嫌い」は向上心につながり、困難に打ち克つ良い側面はもちろんあるが、それが客観的能力を超えた極端なものであると、周囲の人間が迷惑するだけになる。本人には罪悪感がまったくないから、とても質が悪い。
精神科医らは異口同音に「自己愛性パーソナリティ障害の人物からは、可能なかぎり距離を置くしかない」「それができない場合は我慢するしかない」と述べる。
残念ながら、こういうタイプの人物は傍目からはリーダーシップがあるように見えることがあり、結果的に組織のトップに立ってしまうことがある。するとその期間、誰もどうしようもなくなり、結果的に大きな組織的停滞となる。
また得てして、そういう人物はなりふり構わず(ライバルらを蹴落として)トップに立つこと、名ばかりの肩書を得るだけが目標(ゴール)であって、その先のことを考えてないことが多く、結果的にさほどの功績を残していないことも多いように思う。
パワハラの被害経験
兵庫県知事のパワハラ疑惑の件、特に興味があるわけでもないのだが、SNSで「人前での叱責はパワハラに相当する」というのを見聞きして、ひとつ私自身の被害経験を思い出した。
大阪市立自然史博物館の学芸員としての勤務時代、友の会会員さんらとダンスを踊って、それをYoutubeにアップするというアイディアが若手から出され、私はカチンコとメガホンもって座っているだけの無口な(?)監督役をなぜか演じることになった。
高いところから撮影をする必要があって、高所作業用のリフトを使うことになった。しかし忘れ物があった何かで、その場所から離れてしまった。
K(2024年現在館長←当時課長)による館内一斉放送による呼び出しがあって、みなさんの前でリフトの鍵が刺さったままであることを叱責された。
友の会会員の子供が触ったりするかもしれないので、それは確かに危なかった。しかし本当にもし会員さんの安全を心配するなら、Kがまず最初にすべきことは、刺さっている鍵をリフトから抜くことである。
この人物の行動の目的が何であったかは。火を見るより明らかだ。
市民「マラソン」イベントへの嫌悪感
先だって訪れたところで、市民マラソン大会に出くわした。3時間ほどでもランナーが途切れないぐらいだったので、参加者人数はかなりのものだったと思われる。山間の地域だったので、迂回路もない。なので交通規制はなく、道路交通法に基づくイベントとのことで、自家用車の私も通してはもらえた。
だが、車で通行する林道を走るランナーの視線には冷たいものを感じた(※直接言われたわけではない)。同時に疑問も感じた。
無言の声から私が(勝手に)読み取ったのは「私たちは健康増進につながるいいことをしているのに、なぜ一般車が通行して私たちの活動の邪魔をするのか」。確かにジョギングやマラソンは健康増進につながることではあるが、そのランナーご自身の健康については、こちらは知ったことではない。
「私たちのイベントは参加者人数が多い。多数が少数を制限するのは当然ではないか?」。これもこちらの勝手な被害妄想だが、かつて勤務していた博物館の行事でも同様のことを感じた。「私たちが今やっているのは博物館公式行事だ、参加者も多い。だからあなたたちのサークルの今日の活動は、こちらの都合にすべて合わせるべきだ。」
人数が多ければ、民主主義なのか? お上のお墨付きの活動なら優先されるのか?
またランナーの中にはふざけた被り物をしている人もいて、こちらの嫌悪感は上昇した。これはハローウィンに渋谷や心斎橋で仮装している若者とノリが同じではないか? 「大人数なら他人に迷惑かけていい」という心理で、多数の迷惑行為がかつてあったのは事実。ランナーのみなさんも、似たような心理でこの場に臨んでいるのではないか?
私の車の前を走るランナーの一人は、イヤホンで音楽を聴いていて、こちらの存在には気づいていない。クラクションを鳴らすわけにもいかない。気づいてもらえるまで、かなり時間がかかった。
マラソン大会に、他のたくさんの方と一緒に参加することでモチベーションが上がるのは理解できる。ひとりでやっているよりは、たくさんの人と励まし合いながらのほうがいいだろう。
だが、それによって迷惑をしている人がいることも知ってほしいと思うのです。私は琵琶湖畔に居住しているので、春の「びわこマラソン」のように、選手によるレースならわかります。でも私は市民マラソンは嫌いなのです。
参加人数を動員人数にカウントして評価をしてもらおう、それで出世しようという、つまらない役人によるつまらない企画や発想ではないか、とさえ勘ぐっています。
なるようにしかならない
いつまでも思い 悩んでも
事態が変わる わけじゃない
なるようになる なすがまま
なるようにしか ならないよ
神様はいるのかな
仏様はいるかな
どうしてどうして 僕にだけ
こんな試練を与えるの?
ため息ついても 泣いてても
時間が過ぎて行くばかり
なるようになる なすがまま
なるようにしか ならないよ
神社にも行きますから
お寺も行きますから
どうかどうかどうかお願い
神も仏も信じてます
祈る心は通じると
ずっと信じ続けます
なるようになる なすがまま
なるようにしか ならないよ
冷たい滝に打たれても
険しい山で倒れても
幸せな心を求めて
ずっとずっと耐え忍ぶ
このまま不幸は続かない
ことを願うばかりです
なるようになる なすがまま
なるようにしか ならないよ
神様はいる きっといる
仏様も きっといる
昨日や今日を憂うより
明日を信じ生きようよ
成功体験
子供の頃は 神童と
呼ばれて褒めそやされていた
人も羨むよな知性
みんなが私を妬んだ
時の流れは非情なり
諸行無常の響きあり
輝いてたあの頃の自分
懐かしく悲しくもある
オリンピックだ万博だ
はるか昔の60年
前の成功体験で
無駄に税金つかってる
時の流れは非情なり
諸行無常の響きあり
輝いてたあの頃の自分
懐かしく悲しくもある
アナロジー思考による先史時代の地名研究
地名研究会での研究発表
2022年1月にとある地名研究会の研究フォーラムで、既発表の研究の内容(格助詞分解法:初宿, 2021)を紹介させていただいた。しかし、残念ながら、お聞きいただいた会場の皆さんには好適には受け止めてもらえなかったようであった。さらにその次号へ、前号を踏まえた内容の投稿(研究フォーラム当日でも口頭で一部紹介)をしたが、編集部からの答えは掲載不可(リジェクト)であった。
リジェクトの理由について、編集部から説明はいっさい無かったが、その後、研究会会長と個人的にメールのやり取りをさせてもらって、なぜ掲載がなされなかったのかについて、ご説明をいただいた。要するに、格助詞分解法そのものが不確かな分析法である(言葉遊びに過ぎない)から、その曖昧さを踏まえたまま次の具体的地名の由来推定へと展開させるのは、砂上の楼閣であるというのである。
演繹法と帰納法
地名研究に限らず、すべての学問研究は論理的に進めなければならないのは当然である。
科学において論理的な方法は、主に以下の2つが取られる。すなわち、演繹法と帰納法である。前者は(曖昧でない)明白な前提に基づいて、後者は実例を多数列挙することによって、それぞれさらに高次元な真理へと導くものである。
したがって、地名研究を着実に前に進め成果を得ようとするならば、当然ながら先人による明瞭な記述、すなわち歴史学的資料に基づくのが、もっとも無難で確実である。研究フォーラムや研究会の会誌に掲載される論文から、地名研究者の中には、歴史学の視点から地名の論考をされている方がとても多い。
先史時代と歴史時代
人類が日本列島には到来したのは、旧石器時代の約4万年前ごろと考えられており、氷期が終焉して温暖化が進むと同時に、日本では縄文文明が開花した。しかし残念ながら、それに続く弥生時代・古墳時代を含め、文字による資料は全くというほど残っていない。記紀は時代が下がってからの聞き書きに過ぎないし、地名が掲載されている最古の文献としてしばしば登場する「和名抄」も「類聚名義抄」も平安時代のものである。出土した奈良時代等の木簡や風土記の記述を基にする場合も多々ある。しかしそれらは、日本列島の人類史のうち、きわめて最近のことに過ぎない(図1)。
私が先史時代について講演等でお話をさせていただく時に、聴衆が大きく誤解されていると感じるのは、旧石器時代や縄文時代の人々が原始的な人類、ともすれば半ば猿のような二足歩行さえもままならない存在と考えておられる点である。しかしいずれも、既にホモ・サピエンスとして十分に知能の発達した生物であり、もし彼らをタイムマシンで連れて来ることができるなら、現代人と同じように車に乗ったり、文字を覚えて、パソコンをも自由に使ったりする生活がおそらく可能である。
よって「そんな古い時代に人類が地名を使っていたのか」という疑問を受けることになるが、答えとしては「地名は生活基盤のひとつであり、当然のごとく使っていたに違いない」ということになる。そして、それらを受けついだ状態で歴史時代に入って来ているはずである。
地名研究者各位が異口同音に「地名は古代語の化石である」と述べておられるにも関わらず、歴史時代の文献にあたる作業に終始しているのでは、地名由来の本質的課題に踏み込むには不十分ではないだろうか。そして、「古い文献にそう書いてあるから由来はこうである」という地名由来の推定例が少なくないように思われたが、これは「ニワトリが先か卵が先か」というジレンマに類似していると感じる。
第3の論理的思考法=アブダクション(仮説的推論)
論理的思考法について、先に演繹法と帰納法を挙げたが、実はもうひとつあり、それは「アブダクション(仮説的推論)」と呼ばれるものである。アメリカの科学哲学者C. パースによって提出された仮説提起による発見的思考法で、これを理解するにあたり、細谷功氏による著書「アナロジー思考」(東洋経済新報社, 2011)がたいへん参考になった。しかし、ここでその著者が述べておられるとおり、アブダクションの論理性は先の2つより弱い。だが、この方法によって、科学的な大発見がもたらされたこと(ヴェーゲナーによる大陸移動説、ニュートンによる万有引力の法則など)、さらに現代のビジネスへの応用にも有効であること、が述べられている。
これによる科学的大発見のひとつに、ダーウィンの進化論がある。ダーウィンはキリスト教の教え、すなわち万物はすべて神が創造したとされていた時代に、「生物には進化の過程があり、人類は猿のような生き物から進化してきた」ことを述べた。もし「それを見せて証明してみろ」と言われても、生物の進化の過程を再現することはできないし、化石の発見例は断片的にすぎず不十分である。太古の生物のことは、現代に生きる生物同士の形態を比較して推定するしかない。コウモリの羽とクジラの胸鰭と人類の手のひらを、われわれは形態としても機能としても全く異なったものとして見ているが、実はこれらは「相同」の関係にあり、同一の起源から派生していったものである(図2)。ダーウィンはそれに気づいたのである。
もちろん、当時はひどい批判にさらされた。しかし現代において、「万物はすべて神が創造された」として、進化論を未だに否定している人は、きわめて少数であろう。
アブダクションによる先史時代の地名研究を
筆者による格助詞分解法は、格助詞の有無だけが異なる地名・人名が存在すること、多くの地名が「神の居場所」を意味すると考えられること、に気づいて提唱したものである。そして、構成される語頭や格助詞や語尾は、決して出鱈目に付けられているわけではなく、それなりの法則性のようなものがあり、アブダクションによる論理性を十分に保持したものであると自負している(図3)。
歴史時代の地名研究法に比べて論理性に弱いことは認めるものの、日本列島において圧倒的に長い、文字の無い先史時代のことを推論するには、そんな方法しかないと考えている。その点で、先史時代の本州の地名をアイヌ語で解読しようとした故・永田良茂氏(永田、2021ほか)の姿勢そのものは、それなりに評価されるべきであると思う(※ただし、私の個人的な意見としては、永田氏の地名推論は表面的な類似性、つまり属性レベルでの類似の部分に固執したもので、アブダクションによる論理展開とはいい難い:細谷氏の言うダジャレのレベルであると思う)。
地名研究という幅広く深いテーマにおいて、日本列島の圧倒的な人類の存在期間(=先史時代)を「確実な証拠がないから」と無視したり批判したり投稿をリジェクトしたりするような言動は、きわめて狭い論理的思考法からのものと言わざるを得ない。いわば、ダーウィンの進化論を既存の概念で頭から否定するようなもの、靴の上から痒いところを掻こうとするような行為ではないだろうか。
最後に
2022年1月のフォーラムでは、会場から「歴史をもうちょっとちゃんと勉強したらどうか」あるいは「当研究会の伝統的な研究の方針や背景を理解して研究発表をしたらどうか」という意見があった。私はもちろん、歴史学は勉強していない。他方で、私は30年来、大阪市立自然史博物館で学芸員として勤務し、自然科学(特に昆虫類の分類・進化や旧石器時代・縄文時代・歴史時代の遺跡の昆虫化石・遺体)を取り扱ってきていて、論理的思考法あるいは先史時代・歴史時代の時間軸感覚について、それなりに体得しているつもりである。
研究会において主に採用されている研究手法から外れたことによって、私の提唱した説が否定的に捉えられてしまったこと、さらにそれを踏まえた第2編の未発表の投稿論文がリジェクトされてしまったことは、たいへん残念であった。
専門家がキャリアを重ねるうちに守備範囲や視野が狭くなってしまったり、これまでの経緯や定説にそぐわない新しいアイディアを上から叩きつぶしたり、したくなることは理解できる。しかし、学問研究はもっと自由であるべきで、特に地名由来は一般にも広く興味を持たれる内容でもある。私は大阪の博物館では「わからないことは一緒に調べましょう」というスタンスで、いくつもの研究サークルを運営し、ベテランの意見も新しく入ってきた方の意見も、出来る限り分け隔てなく取り扱うように強く意識してきた。
某研究会についても「学会だ」「学会誌だ」とお高くとまることなく、他分野の研究者や在野研究者、さらには専門性からフリーな一般の方たちも広く交わり、一種のシチズンサイエンス(市民科学)として、プロもアマチュアも同じ高さの目線で進めていく姿勢が求められるべきであると考える。
永田良茂 2021.「地名探究 No. 18」提言「永田氏のアイヌ語地名論について」(小寺氏)への反論.地名探究 (19): 119-124.京都地名研究会.
細谷功 2011.アナロジー思考.東洋経済新報社、東京,255pp.
初宿成彦 2021.格助詞に着目した地名の要素分解.地名探究 (19): 59-64.京都地名研究会.
解説動画は下記↓
動画リンク
松本人志氏の芸能活動休止について(自然史学的視点から?)
人の五大欲求として、食欲・性欲・睡眠欲・物欲・承認欲求があるが、これは人だけではなく(人志だけでもなく)、他の生物も持っている。
人類が今日に至るまでは、過去には猿、ネズミ、爬虫類のような生き物だった。そのような生存競争の厳しい中で命が代々続くように、神様はたいへん大きな性欲を与えられた。
地球の長い歴史の中では極めて最近になって、人類は叡智ある社会性動物へと進化した。だが人類は全員、神様が与えられた「不必要に大きな性欲」を持ったままでいる。松本氏もそのひとりである。なので、氏がそれを持っていることに罪はないし、恥じる必要もないし、それを報じられて、そこだけを責めるわけにもいかない(テレビでの若いころからの発言を見ると、他人より若干大きい気もする・・・)。
誰もがその「不必要に大きい性欲」を処理する方法に困っている。その状況の中では、やはり社会のルールが必要である。それは、迷惑している人がいるかいないかだと思う。
いわゆる痴漢行為は、その「不必要に大きい性欲」に基づいた行為だろうが、迷惑している人が必ずあるので、これは許されないことである。
週刊誌側の主張のように、当事者が当時からずっと迷惑しているということであれば、問題となっても仕方ない(=完全クロ)。
他方、タレント側の主張のように、(氏の家族や当事者も含め)誰も迷惑をしているという事実はないということであれば、問題にはならない(=完全シロ)。
その間のグレーな状況かもしれない。
・有名タレントだからということで、多少とも承知の上だった。
・当時はそうでもなかったが、今は嫌な思い出に変わった。
・週刊誌で報道されたほうが面白いし儲かるから、そういうことにした。
などなど・・・
いわゆる忖度によって、着地点が権力の強い側に出ることがあるように思うので、そのあたりにも配慮しながら、判断が下されることを望む。
PS. とにかく上記の如何にかかわらず、「ガキの使い」は毎週見ているので、これに松本氏が出なくなるなら残念だ。
2024年の抱負
2024年を迎えました。
2022年3月に大阪市立自然史博物館を退職後、まもなく2年になります。2022年から2023年は生活がさらに大きく変わり、まだ安定していません。
2023年からは、年老いた両親のお世話、週1の追手門学院大学での講義、アメリカ農務省と共同の害虫調査が始まりましたが、可能な範囲内で継続できればと思っています。
2024年は出版事業を本格的に開始したいと考えています。2023年は「ことばの違和感」(初宿正典)だけでしたが、春までに2冊の出版を準備しており、年末までにはさらに数冊出せればと考えています。
Youtubeでの動画作成、音楽制作なども考えています。まだ「窓蛍舎」のチャンネル登録者が300人ほどですが、収益化できる1000人を目指しています。50歳を過ぎてアイディア創作力も枯れてきましたが、初心の戻ってがんばりたいと思います。
宮崎県綾での甲虫相解明、8月の京都での国際昆虫学会での発表、も楽しみにしています。
本年もよろしくお願いいたします。
七十二候「寒蝉鳴」はヒグラシではない
暦のひとつに二十四節気七十二候がある。もともとは中国の戦国時代(紀元前5~3世紀)に作られたものが伝わった。二十四節気は初候・次候・末候に三分割され、それらが七十二候である(24×3=72)。しかし、日本の暦とは合わないため、江戸時代前期に渋川春海によって本朝七十二候が著わされた。二十四節気は元のまま現代も使われている。立春、春分、夏至などは馴染みがある。
渋川による二十四節気「立秋」の次候(8月12日から17日ごろ)は「寒蝉鳴」とされ、どの本を開いても「ヒグラシが鳴き始める」と解釈されている。でも1ケ月遅いと思う。ヒグラシは俳句でも秋の季語とされているが、出現期はアブラゼミやクマゼミとほとんど同じで、実際は夏のセミである。
中国の元の七十二候 では「寒蟬鳴」はさらに遅い末候(8月18から22日ごろ)となっている。
「寒蝉」はヒグラシではないと思う。そもそも、日本でいうヒグラシは日本固有種だ。
中国語で調べてみると、「寒蝉」は今も中国で使われていて、ツクツクボウシ属 Meimuna のこととある。
よってツクツクボウシ(松寒蝉 Meimuna opalifera)またはコマゼミ(蒙古寒蝉 Meimuna mongolica)が有力な候補であると考えられる。
後者は日本には分布しないが、韓国ソウルに8月後半に行った折、やや深い森で盛んに鳴いていた。市街地にはいなかった。
8月中旬でもヒグラシは鳴いてはいるが、「鳴き始める」との表記をするならば、「ツクツクボウシが鳴き始める」という解釈に変更すべきだろう。
※下記はコマゼミの鳴き声。Youtube動画:窓蛍舎チャンネルより。