2024年の抱負

2024年を迎えました。

2022年3月に大阪市立自然史博物館を退職後、まもなく2年になります。2022年から2023年は生活がさらに大きく変わり、まだ安定していません。

2023年からは、年老いた両親のお世話、週1の追手門学院大学での講義、アメリカ農務省と共同の害虫調査が始まりましたが、可能な範囲内で継続できればと思っています。

2024年は出版事業を本格的に開始したいと考えています。2023年は「ことばの違和感」(初宿正典)だけでしたが、春までに2冊の出版を準備しており、年末までにはさらに数冊出せればと考えています。

Youtubeでの動画作成、音楽制作なども考えています。まだ「窓蛍舎」のチャンネル登録者が300人ほどですが、収益化できる1000人を目指しています。50歳を過ぎてアイディア創作力も枯れてきましたが、初心の戻ってがんばりたいと思います。

宮崎県綾での甲虫相解明、8月の京都での国際昆虫学会での発表、も楽しみにしています。

本年もよろしくお願いいたします。

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七十二候「寒蝉鳴」はヒグラシではない

暦のひとつに二十四節気七十二候がある。もともとは中国の戦国時代(紀元前5~3世紀)に作られたものが伝わった。二十四節気は初候・次候・末候に三分割され、それらが七十二候である(24×3=72)。しかし、日本の暦とは合わないため、江戸時代前期に渋川春海によって本朝七十二候が著わされた。二十四節気は元のまま現代も使われている。立春、春分、夏至などは馴染みがある。

渋川による二十四節気「立秋」の次候(8月12日から17日ごろ)は「寒蝉鳴」とされ、どの本を開いても「ヒグラシが鳴き始める」と解釈されている。でも1ケ月遅いと思う。ヒグラシは俳句でも秋の季語とされているが、出現期はアブラゼミやクマゼミとほとんど同じで、実際は夏のセミである。
中国の元の七十二候 では「寒蟬鳴」はさらに遅い末候(8月18から22日ごろ)となっている。

「寒蝉」はヒグラシではないと思う。そもそも、日本でいうヒグラシは日本固有種だ。

中国語で調べてみると、「寒蝉」は今も中国で使われていて、ツクツクボウシ属 Meimuna のこととある。

よってツクツクボウシ(松寒蝉 Meimuna opalifera)またはコマゼミ(蒙古寒蝉 Meimuna mongolica)が有力な候補であると考えられる。

後者は日本には分布しないが、韓国ソウルに8月後半に行った折、やや深い森で盛んに鳴いていた。市街地にはいなかった。

8月中旬でもヒグラシは鳴いてはいるが、「鳴き始める」との表記をするならば、「ツクツクボウシが鳴き始める」という解釈に変更すべきだろう。

※下記はコマゼミの鳴き声。Youtube動画:窓蛍舎チャンネルより。

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ミカンの自然史

ミカンはおいしい。いうまでもない。

ミカンについて、あれこれ書くことにした

ミネオラ

=45点

プラスポイント

やわらかく手でむける

種がない

味は甘い

ボリュームと値段は温州ミカンと同等

マイナスポイント

汁がじゅるじゅるこぼれる  

房に分けようとすると更にじゅるじゅるこぼれる

なので複数の房のままをかぶりつく。内袋は少し固め、できれば剥きたかった。

皮のごわごわ度:やわらかく手でむける20点

内袋:食えんことはない10点

食べるときの快適さ:種がないが、汁がじゅるじゅるこぼれる。5点

味:甘い、けっこう好き、20点

ボリューム:温州ミカンのサイズ,、5点

値段:ひとつあたり100円以下でお手頃、20点

分類:タンゼロ類(みかん類とグレープフルーツ類の交配)

原産地:アメリカ

栽培地:オーストラリア

アフォーラ

55点

40代しか食べたらあかんのかと思った(アラフォー)が、でもよく見たら「アフォーラ」だった。日本の温州みかんと同様、確かに外皮を手でむけるが、手がベトベトになる。味は甘さが強く酸味がなくてgood。オーストラリア産。防カビ剤があれこれ入ってる。

由来や分類については調査中。

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北海道地名はアイヌ語か?

Youtube上での情報だが、最近、(どちらかというと)右、すなわちナショナリスト系のYoutuberの方々の動画に、「アイヌ民族を北海道の原住民と認めてしまったこと」の如何を問う動きが多いように感じる。

たしかに遺跡を見ても、縄文時代は本州と共通しても、弥生時代の代わりに続縄文時代が次に続き、その後は東部やオホーツク地域ではオホーツク文化が、それ以外では擦文文化の遺物が産出し、アイヌ文化時代は本州でいう鎌倉時代に入ってからである。アイヌ民族は鎌倉時代にサハリン(樺太)から南下してきたという。

私は本州の地名が縄文時代から継続されていると考えているが、地名の不変性が同様に適用されるのであれば、北海道の地名も鎌倉時代以後のアイヌ民族が使っていたアイヌ語で説明するのは不自然ではないかという思いを抱いている

たとえば・・・

「ワ」:本州では「わだつみ」などが示すように水と関係する。北海道では「カムイワッカ」(神の水)のように水と関係する。

「シリ」:利尻、奥尻、国後など、島を示す接尾語であるが、「シリ」が「シマ」になった関連性を感じる。

いずれにせよ、もう少し探究が必要である。

だが、上記Youtuberらが主張するように、北海道は和人がアイヌの土地を室町時代から明治にかけて、強制的に奪って追いやったのではなく、もともと縄文人(本州と同系列の民族)がいたところを北から鎌倉時代にやってきたアイヌ民族が北海道を強制的に奪って追いやった、その後、和人が南からアイヌ民族を追い返した、という解釈も、可能なのかもしれないと思っている。

なので、北海道の地名は本州の地名と同じ視点から、解明を試みる必要があると思っている。

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関西人はなぜ関西弁を使うのか?

よく言われる質問で、私も遠征先で半年ほど前に聞かれ、相手方は「関西人のプライドみたいなもの?」との指摘だった。これはあると思う。

プライドとコンプレックスは完全に同一である。関西は東京に負けているというコンプレックスが存在するのは間違いない。なので関西出身の有名人が標準語をしゃべっていると、「魂を捨てた」とか言われる。

この半年間、このことを考えていた。

私の場合、関西以外の地でも、アクセントはやはり関西弁(いわゆる京阪神アクセント)である。ただし、「●●しはる(標準語:なさる)」「なおす(標準語:片づける)」などの関西独特の言い回しは極力、避けている。

つまるところ、「それで通じるから、そうしている」というのが私の場合の結論である。何か喋って、聞き返されることは無い。他の地方の方の場合、聞き返されたりすることもあって、標準語アクセントで会話をされているのではないだろうか。

関西出身の芸人がたくさん、全国放送で関西弁を「紹介」しているお陰もあるだろう。

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またアラスカに来よう

見渡すかぎりの草原で
スゲの白い綿毛に
ルリボシヤンマが飛んできた
何かを探して飛んできた

冷たい雪解け水で
育ったヤナギランが
風に揺れて咲いている
明日を信じて咲いている

大きな岩を押しのけて
山肌を削りながら
氷の河が流れてる
輝きながら流れてる

カエルも鳴かない 静かな沼で
ジープの走るエンジン音が
いつまでも響いてる
U字谷に響いてる

あくせくしてるだけの日々
都会の暮らしには疲れた
でもまたいつか ここに来よう
お金を溜めて ここに来よう

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Mさん逝去の誤報

若い時からたいへんお世話になって、今は隠居生活を続けられているMさん。「亡くなった」という話を聞いて、確かめもせずに、SNSで情報を流してしまった。情報に振り回されることは誰でも人生にはあると思う。できるだけ眉に唾をつけるようにしてきたが、今回ばかりはすっかり信じ込んでしまった。

過去にも、すっかり信じ込んでしまったことがあった。それは東日本大震災で大津波があった数日後、「また巨大津波が来る」というものだった。たしかテレビでテロップでニュース速報が流れたと思う。「警察と自衛隊と消防が言っている」というもので、後から思えば、騙しやすいシチュエーションが織り交ぜてあるなあと思った。

両者に共通する点がある。それは心のどこかに「そんなことがあったら大変だけど、なるかもしれない」という気持ちを常に持っていたことが挙げられる。なので、その報を聞いた瞬間、「ああ、やっぱりか、その時が来たか」と早合点してしまうのである。

今後、眉の唾の付け方を入念にしなくてはならないと思う。

他方で、年を追うごとに自分が誤っている方向に進んでいることに気づきにくいとも感じている。仕事でも「これが正しい」と思っても、不具合が見つかって初めて、最初の第一歩が間違っていたと覚る・・・。道を歩いていても、同様のことは以前より増えた。

お年寄りをターゲットにした詐欺事件が後を絶たないが、騙されたとわかるまで、上記の私と同じような心理状態で悪い方向へ導かれてしまうのだと思う。お年寄りはその「気づく」所までの時間がより長いから、何回も騙されて振り込んで、というところまで行ってしまう。

金融機関でも職員や周りの人間が気を付けているけれど、衰えも悪人の存在も世の常で、根絶するのは難しい。

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大阪市のクマゼミの初鳴記録をSNSで

生物季節観測が2020年で終了した。以前も書いたが(下記)、私の意見は、「残念」と「いたし方ない」の両方の間ぐらいに位置している.

48Kのブログ「生物季節観測の終了について」2021年2月 4日

この中でSNSを用いた初鳴記録の可能性に言及したが、大阪市のクマゼミの出現状況について着手してみようと思う。ご協力お願いいただけたら幸いである。

記録の内容

  • 記録してほしいもの クマゼミを初めて聞いた年月日(できれば場所と時間も)
    マイ初鳴記録で結構です。たくさんデータが集まることで、ひとつひとつの情報が意味を持つようになります。
  • 範囲 大阪府とします。大阪府では大阪市・堺市・東大阪市など大都市・住宅密集地で必然的に最も初めに鳴きますから、単に大阪とクマゼミ(と※ツイート日と異なる場合は日付)が書かれていればOKです。差しつかえなければ場所も書いてください。

報告の方法

  • Twitter #大阪クマゼミ初鳴 のハッシュタグがあると探索がしやすくなります
  • Facebook 同様に#大阪クマゼミ初鳴 をつけてください(※可能ならTwitterのDMかFacebookのMessengerでもお知らせいただけるとありがたいです)
  • 電子メール hippodamia13@gmail.com クリックすると設定次第でメーラーが立ち上がります。本文に追記して送信してください。

経過報告

(※2023年)6月28日夜時点で7件あります。データがたくさん集まれば、クマゼミの鳴き始めの様子がうまくとらえられると思っています。

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大阪のクマゼミ初鳴予報(2023年版)

 春になるとサクラの開花やその予想日が話題になる。他方、セミも夏の到来を告げる風物詩であるが、その初鳴予想というものは行われてこなかった。

 大阪ではクマゼミの初鳴観測が1976年から行われてきたが、最早で6月24日(1983年)、最遅で7月26日(1976年)と1ヵ月以上も差がある。

 詳細な野外データの蓄積と気温の計算によって、クマゼミの初鳴の予想に取り組んでいる。

※桜は花のつぼみの様子を観察できるが、セミは幼虫が土の中にいるので様子がわかりにくく、予想はより立て辛い。

結果(7月4日?)

みなさんのツイートや直接報告をまとめてみましたが、大阪でのクマゼミの初鳴日をいつとすべきか・・・。仮に「たくさん聞かれた最初のヤマ(山)と定める」として7月4日としておこうかなと思っています。

※「大阪」としか書いてない場合も含めています。いずれにせよ、気象台がこれまで決まった方法で観測してこられた代わりの方法を考えるのは難しそうです。

報(6月23日)

 その後の気温推移、過去のデータを追加した結果、大阪のクマゼミ初鳴・第2報として

6月29日

と予想します。


第1報(6月16日)

大阪のクマゼミ初鳴は7月6日と予想します。平年(7月6日:1991 年から 2020 年の平均)並みです。

大阪におけるクマゼミの初鳴日(1976~2020年)
温暖化傾向のため、初鳴日は明らかに早まっている。
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究極のナチュラリスト=マタギ

 以前から気になっていたマタギ資料館(秋田県北秋田市)を見学した。マタギとは東北地方などの山において伝統的な方法を用いて狩猟を行なっていた人を指す。

 興味をひかれたひとつは、その山に対する信仰心であった。山を神(女神、しかも醜い!)がすむ神聖な地としているそうで、これは仏教伝来以前の原始神道に通じるものがある。

 もうひとつはマタギ衆が使う言葉である。里で使う言葉は山の中では使わないそうで、水・酒=ワッカ、イヌ=セト、などと言うそうだ。「ワッカはアイヌ語ではないか」とすぐにピンと来た(カムイワッカ[=神の水]の滝というのが知床にある)。

 熊を「山の神からの授かり物」と考えている点はアイヌとの共通性もある。

 マタギの起源は平安時代から鎌倉時代と言われているそうだが、そんなに新しいはずは無いと思う。少なくとも狩猟生活をしていた縄文時代からのものではないだろうか。あるいは沿海州ナナイ族の猟師、デルスウザーラ(黒澤明監督により1975年に映画化)が同起源であれば、旧石器時代にまで遡る可能性さえあると思う。

 デルスウザーラは山の自然の中で暮らすための自然に対する知恵をたくさん身に付けており、究極のナチュラリストなのだと映画を見て思った。おそらくマタギも同様であろう。

 自然との関係が極めて薄弱になっている現代人の生き方は、これからも自然環境の破壊が続けられ、その負荷は増大するばかりである。私は米や麦の栽培開始より前の狩猟生活が、人類が採るべき持続可能な生き方だったのではないかと思っているが、彼らはそれを実際に示しているように感じた。

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