「不可解なマッコウクジラ=ヨドちゃんの最終処置」(その3)

 この件、私は完全に部外者で、あまり深く関わるつもりはなかったのですが、あれこれ意見をいただいたり、それに対して思うこともあるので、「その3」を書きます。

 とにかく私が思うのは、政治的なこと、行政のこと、研究資料としてのこと、自然文化遺産としてのこと、観光資源としてのこと、すべてをひっくるめて、「歴然たる結果として、ヨドちゃんが紀伊水道に沈められてしまったことが残念である」ということ、本当にその1点だけです。

 その経緯にはもちろん、あれこれ議論があったのは間違いないと思います。ただ、中にはきわめて短絡的に「市政が悪い」「維新が悪い」と政治のせいにしてしまう方がお見えのようですが、それは必ずしもそうではないと私は思っています。

 同党が文化行政に熱心でないのは、世間で既に言われていますし、私自身も反感を強く覚えております。

 しかし、大阪市立自然史博物館の内部に「どうせ市長には勝てないから、維新には勝てないから」「歯向かったら博物館の予算が減らされる」というのが、大前提としてあったのではないでしょうか。

 はたして松井市長は最初から最後まで、ヨドちゃん保存派の敵だったのでしょうか。たとえば、同党が力を入れて推し進めている大阪万博2025と絡めて、ヨドちゃんを会場予定地である夢洲へいったん引き上げて、夏の間に処置をする、その後で引き続き、大阪万博2025で展示する・・・、そんな進言を市長にするとか。

 とにかく経緯や考え方や手法はすべて抜きにして、結果としてヨドちゃんに大阪に残ってもらうための方策を、大阪市立自然史博物館はすべてし尽くしたのでしょうか。この機会に市長を説得してまで、市民の世論を味方にして、文化を守ろうという気概が、あなたたちには本当にあったのでしょうか。

 再度になりますが、上述したとおり、とにかく結果として「ヨドちゃんが紀伊水道に沈められてしまったことが残念である」と、大阪市(松井市長、自然史博物館の双方)に対して、申し上げたいと思います。

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「不可解なマッコウクジラ=ヨドちゃんの最終処置」(その2)

 私はもう内部の人間ではありませんから、私の持っている情報は報道の通りであることを前もってお知らせしますとともに、以下の当方の勝手な意見で、気分を害する方(大阪市関係者、旧同僚等)があれば、あらかじめお詫びいたします。

 大阪市立自然史博物館に既にクジラの骨格標本は展示されてますが、その経緯を知ってる方はあまりおられないと思います。他方、今回のヨドちゃんはみんな知ってる。大げさに聞こえるかもしれませんが、1950年に開館した前身の自然科学博物館開館以来、最も大きな収集・保管・展示すべき自然史資料であったと思います。

 松井市長が「海に戻してあげる」とおっしゃってましたが、博物館が早くに手を挙げて動いていれば、市長も(政治家という人気商売なので)考え方が変わったかもしれないのではないでしょうか。
 
 当然ながら、この不景気の中での予算の都合はあるでしょうし、どこかの段階で、海に戻すという意思決定がなされた点は、背に腹は代えられない話なので、理解するしかないと思います。

 もっとも情けないと思うのは、落としどころが「(匿名)担当者」が市長に報告しなかった、という点です。大阪市立自然史博物館の幹部は、自らがこの件の担当者の一部であるという自覚は無かったのでしょうか。

 ヨドちゃんが紀伊水道に行ってから、プライドを保つだけのために、すべき仕事を果たせなかった言い訳をするように、後出し声明を出すのは、見苦しいだけだと感じました。

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アイ・アム・ア・ポエマー

年齢のせいか、ふとした時に詩が浮かぶ。書きだして公表するのは照れくさいが、することにした。

英語で詩人は普通poetだが、私の場合は嘲笑の対象(=poemer 和製英語)という感じ?(すいません)

しやけのドイツ箱「作詞のページ」
https://shiyake-doitsubako.website/poem.html

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不可解なマッコウクジラ=ヨドちゃんの最終処置

2023年1月に大阪・淀川河口に現れたマッコウクジラのオス、ヨドちゃん。

別分野ながら、かつて大阪市立自然史博物館に勤務していたので、これまでもクジラが堺に流れ着いて、 多数の老若男女が集って活動をしている市民サークル「ホネホネ団」らによって、きちんと学術標本として埋葬処置され、そして博物館の大きな目玉展示物となってきた経緯は、もちろん知っている。

しかも今回は大阪市内。そしてこれほどまでに話題になった。彼が博物館のポーチにマッコウクジラのメス(マッコ)と並んで展示されたら、関わった人全員、大阪市民、近畿一円の方々、大阪への海外からの訪問者、そしてご本人(ご本鯨?)にとって、最もいい形での最終処置方法ではなかったのか。

1950年に天王寺に開館し、江戸時代から続く大阪(大坂)の町民学者らと手に手を携え、今日まで自然科学博物館/自然史博物館が育んできたシチズンサイエンスの力量を、示すことのできる絶好の機会ではなかったのか。

ところが、重りを付けて紀伊水道に沈めると聞いて、私は耳を疑った。

学芸課長・佐久間大輔氏のコメント、すなわち「総合的な判断だったから」というのは、いつもの彼の歯切れの良さを知る者としては、まったく物足りなさを禁じ得なかった。

大阪市の松井市長は「引き取りの要望は聞いてない」、そして担当者が市長に伝えなかったとのことだった。しかし、これは自然史博物館館長・川端清司氏が直接、松井市長に電話をしてでも、直談判をすべきだったのではなかったのだろうか。

もし俺が博物館館長なら、間違いなく電話しているぞ!

(元)博物館人のひとりとして、この落としどころは、まったく理解ができていません。私の理解が間違っているなら、正していただきたいです。

クジラのヨドちゃん『博物館が骨格標本化を希望していた』と判明…なぜ費用かかる「海底沈下」に? 市の担当者『要望は市長には話していない』

https://news.yahoo.co.jp/articles/6075568bafceb194ee6843689ce375c5ea4d4f19

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ひどい精神疾患の経験

 2022年3月の退職前後の半年間ほどは、精神的に最低だった。その前にいわゆる鬱の状態があったが、さらにひどくなっていることを自覚した。他の人の言っている言葉についていけないし、極度の不安感から常に足が動いている状態だった。家でも職場でも駅のホームでも、同じところを繰り返し繰り返し、歩き回るのである。

 医療に多少とも心得のある家族が「これは統合失調症と思う」と言って、救急車を呼んだこともあった(救急車車内で縛って搬送された)。その時は既に夜中だったが、歩き回るのが収まったころ、釈放?されて自宅に送り返された。

 ひどいときは幻聴を伴った。聞こえてくるのはいつも、なぜか阪神タイガースの選手応援歌で、自宅で悶々と横になっている時には、その音楽が夜中の1時・2時に聞こえてきて(そんな時間に野球中継はやってない)、近所の人が大音響で試合の録画を見ているのだと思った。しかし翌朝、電車に乗っても、同じ応援歌が聞こえてくるのだ(しかもなぜか、近本→中野→佐藤輝→大山と打順の通りに)。この時になって、これがやっと幻聴であることに気づいた。

 食欲は3週間ほど、まったく食べられない時があった。ちょうど病院で血液検査をする機会があったが、栄養が足りてない状態だったらしく、いつも診てもらっている先生からは「あなたは断食をしているのか?」と聞かれた。あと身体の変化としては、足の爪がペラっと剥がれてしまった(栄養失調の症状らしい)。

 薬を出してもらっていることもあってか、幸い体調は回復して、今はあれこれ仕事ができるようになっている。しかしあの頃を思い出すと、当時の自分は本当に「危ない」状態だったと思う。

※精神疾患は誰にでも急にやってくることがあります

 

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若者たち 今むかし

むかしの若者たちは
とことん振り切れるとこまで
悪事の限りを働いて
ダメな自分に気が付いた

今の若者たちは
おとなしすぎはしないかな
レール外れてぶつかって
学ぶこともあると思う

むかしの若者たちは
個性を無理やり潰されて
会社のためだけに尽し
ニッポンのサンギョウを支えた

今の若者たちも
会社の指示だけ待っている
お年寄りが困っていても
見てみないふりを決め込む

むかしの若者たちが
オジサンになって作った
この国の社会の仕組みが
こんな結果をもたらした

今の若者たちが
悪いわけじゃないと思う
かつて世界ナンバーワンと
言われた この国の陽は沈む

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「学芸員を辞める勇気(殺される前に)」

過労状態の実際

 2010年頃に自分が書いたもの(旧48Kのブログ2010~2021)を読み返している。

 この2010年頃の仕事量は半端でなく、この日記を読めば、客観的に見ても私が完全に過労状態だったとわかると思う。行事のトリプルヘッダとか、休日出勤の代休(2連休)を休暇扱いにしてフル稼働で仕事するとか、まったく異常だったとしか言いようがない。

トリプルヘッダ
https://shiyake-doitsubako.website/48Kblog2010-2021_compressed.pdf#page=116

2連休
https://shiyake-doitsubako.website/48Kblog2010-2021_compressed.pdf#page=132

 その後2014年夏にも、仕事量過多が原因の過労の状態となった(こちら:都市の自然展2014の標本点数)。21時間労働/3時間睡眠、を5日間も続けなくてはならないなんて、正気の沙汰ではない(とはいえ、展示の開幕日は否応なしにやってくるのである)。


労務管理者の怠慢と労組への絶望

 当然ながらこの間、労務管理者(管理職)は職務状況の改善に取り組んで然るべきだった(少なくとも2010~14年のうちに)。しかし当時は「こっちが叱られるような超過勤務は付けるな」と言われ、サービス残業が当たり前の毎日だった。

 もちろん叱られない範囲で残業を記録して申し出れば、超過勤務手当は出されるのだが、当時は仕事量が余りにも多過ぎて、「本質的に解決すべき問題点は、職場内(労働組合員間)での仕事量の集中や偏在であり、お金のことではない」と強く思っていた。しかし職場内で政治力に幅を利かせ、既得権益を貪っている上記管理職系の労組「勝ち組」にとっては、当然ながらこんな「負け組」の意見は、労組内の問題として取り上げる必要は無いし、その気配も無かった(病院に担ぎこまれた私へ、手を差し伸べる様子は何も無かった)。私は絶望して、2018年で労組を脱退した(組合費を返せえ~!)。

 結果的に2015 ~16年に脳や心臓を2度にわたって患って倒れ、心身共に病んで進むべきレールから大きく逸脱してゆき、とうとう2022年3月に退職となった。当時の労務管理者の責任を問いたい気持ちが再び強くなっているが、もう8~12年も前のことだし、私ももう退職してしまったので、悔しいけれど泣き寝入りするしかないのだろう。


退職への道

 その旧48Kのブログを読み進めてみると、2019年12月 には既に、心が退職へと傾いていたようだ(826ページ)。

https://shiyake-doitsubako.website/48Kblog2010-2021_compressed.pdf#page=826

 当時は心臓の手術後に病欠で長期休暇するなどしていたが、自宅でアドラー心理学の本をあれこれ読んでいた時期でもある。

自分の力を活かすことで貢献感を持てる仕事をしなければ、自分に価値があるとは思えません。自分の力を活かせない職場に居続ける意味はありません
「アドラーに学ぶ よく生きるために働くということ」 岸見一郎、ベスト新書、2016年


勝ち組」のせせら笑い/「負け組」の涙

 さらに本書では「自らが進んで周囲を変えていく」必要性が述べられているが、私は・・・

もし(自らが周囲を)変えることが及ばず、明日辞めることになっても「後悔の気持ちは無い」と断言できる。その「勇気」(本書より)はもう既に持ち合わせている。

・・・と綴っている。職場内の「勝ち組」から見れば、「負け組」の遠吠えでしかないのだろうが、我ながら鬼気迫るものがある。

 このころ既に、(1)自分には周囲を変える力量がないこと、(2)このまま勤め続けたら3回目倒れる(=殺される)こと、を悟っていたようだ。

※サービス残業は絶対にしてはいけません。させてもいけません。

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「都市の自然展2014の標本点数」

 ※投稿日:2014年7月19日。Facebook投稿(友人限定)より再投稿。

 実をいうと、14日(月)の朝に出勤してから、家に帰れなかった。

 担当する作業量が、ちょっと多すぎたと反省・・・。「初宿邸」、「ヒトスジシマカ模型」、「黄金御殿」といった大きな造作に加えて、小さな昆虫標本を分類順に並べる・・・。途方もない作業量だったなあと、さきほど、自宅にひさびさに帰り着いて、ひしひしと感じている。

 今回の特別展の標本点数は、まだ発表になってないが、靭公園のぬけがら(写真)は、どう数えるのかなあ・・・。まあ、これを除いても、担当した点数でいうと、いちばん多いだろう。

 過去や他所の標本を引っ張りだして・・・というのではなく、「プロジェクトU」が始まって以降の近年の大阪市内産の標本を、多く展示している点は、誇りに思いたい。

 それよりも、たくさんの方に助けていただいたことに、とても強く感謝しています。どうも、ありがとうございました。


追記:その当時、実際はどうなっていて、その後どうなったのかは、旧48Kのブログで(下記リンク) ※危険なので絶対に真似はしないでください

「オススメしません:21時間、闘う方法」

https://shiyake-doitsubako.website/48Kblog2010-2021_compressed.pdf#page=830

2020年1月24日 (金)投稿

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「明けない夜は無い」

しずかな湖畔で
水鳥を眺めてたら
大きな船が通り過ぎて
水面は波を打っていた

それでも水鳥たちは
大きく大きく揺れながら
船が過ぎ去って行くまで
水面が静まるのを待っていた

※逃げたらアカン  投げたらアカン
明けない夜は無いのだから
耐えて耐えて耐え抜いて
心から笑える日を待とう

前に立ちはだかるものは
どこにも必ずあるのだから
それを認めて我慢して
生きることも必要だ

路傍に咲いてる花のように
切り株から出た若芽のように
生きてられるだけで幸せと
感じられる心をつくろう

※逃げたらアカン  投げたらアカン
明けない夜は無いのだから
耐えて耐えて耐え抜いて
心から笑える日を待とう

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「博物館教育論の講義を見学」

 とある大学の「博物館教育論」の講義を見学させていただく機会があった。とはいえ、当日は教官による講義ではなく、学生たちによるアイディア発表会・・・。テーマは博物館・美術館での教育プログラムの計画立案。レポートとはいえ、各学生がアイデアをひねり出し、若いセンスが全面に出ていて、実に面白かった。興味や方向性が十人十色で、レポートを楽しそうにまとめている様子が表情に見て取れた。

 いちおう私が博物館勤務経験者ということで、講評をさせていただく時間を少しいただいた。

 今回はいわゆるPDCA(P計画→D実行→C評価→A再計画)サイクルのうち、Pの計画部分が主なので、果てしなく壮大なプランとかもある。

 私は「実際には次のD(実行段階)で、予算が無い、人手が足りない、広報がうまくいかない、とかなるねんで〜」と夢を潰すような事を言いそうになったが、それは学生たちが社会に出て(博物館でなくとも、民間企業での広報、役所での啓発活動に通じる内容)、その実行段階で現実には挫(くじ)かれればいいことだ。

 私自身が博物館勤務で企画を考える時、大事にしてきたのは、できるだけ楽しいと自分に暗示をかけるようにしてきたということ。「嫌やなぁ、面倒くさいなぁ」と思う企画でも、そうと思ってしまったら、仕事のスピードはどんどん遅れがちだ(そして、いずれ立ち往生する)。他方、気持ちだけでもポジティブに捉えるだけで、スピードは1.2倍、時には1.5倍になる。

 そして(最初は一人でも)楽しそうにやってると、なぜか自然と人が集まってきて、あれこれ私の引出しにはない見地から、新しいアイデアを肉付けしてくれる人がいたりする。

 人間は「人」の「間」って書くんだよなあ、と思ったりする瞬間でもある。

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