大阪市立自然史博物館を退職して1年

 大阪市立自然史博物館を退職して1年が経とうとしてします。給与所得者でないヤクザな生活に、否が応でも馴れてきた感じはしています。

「時間は出来たが金は無い」ので、安い食材をスーパーで買ってきて自炊し、厚着をして電気代を節約する毎日です。でも追われる忙しさから解放され、思考回路がクリエイティブになっている部分は明らかにあります。

 どちらがより幸せかは、よくわからないです。

 年間3万人も自殺者がいる我がニッポン・・・。朝夕に電車通勤の人たちを見ていても、みなさん幸せそうにはまったく見えません。

(野尻湖昆虫グループ連絡誌「うんころがし」135号より転記)

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青木淳一さん、逝去

 所属サークル(野尻湖昆虫グループ)の連絡誌に、青木淳一さんの短い追悼文を書きましたので、紹介します。

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 ササラダニ研究のパイオニア、第一人者で、国立科学博物館、横浜国立大学、神奈川県博館長を歴任された青木淳一さんが2022年11月11日に亡くなられました。87歳でした。

 近年の冬合宿で掘り出した野尻湖第12次発掘(1993年)のササラダニ化石を同定してくださり、野尻湖昆虫グループと共著で報告しました(2019年の野尻湖ナウマンゾウ博物館研究報告第27号: 33-34)。「サカモリコイタダニというけど、別に酒盛りしながら新種記載したわけじゃないからねえ。人名なんだよ」とおっしゃってました。

野尻湖昆虫グループ(執筆責任者:初宿成彦)・青木淳一 (2018.3) 第13次野尻湖発掘で見つかったササラダニについて.野尻湖ナウマンゾウ博物館研究報告第 (27): 33-34.

 ご退官後は少年時代の甲虫屋に戻り、大阪での甲虫学会の会合にもしばしばお見えで、研究発表や懇親会で、ホソカタムシをあちこちへ楽しそうに探しまわっているご様子をお話しされてました。

「ほんとの偉い人ってのは、ぜんぜん偉そうにしはらへんのやなあ」と思ったものでした。ありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。

2008年12月14日、旧・甲蟲學會の年次大会(大阪市立自然史博物館)で
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五感で季節を感じられる人間になろう(2月)

4月から若者たちの前で話をさせていただく機会を得た。難しい話はできるだけしないで、「五感で季節を感じられる人間になろう」と呼びかけようと思っているが、私自身がどれほど感じられる人間か、はなはだ自信がない。

なので、とりあえず近所のスーパー(滋賀県大津市)を何軒かまわって果物や魚介類がどういうものが売られているかを書き留めることにした。定期的に1ヵ月に1回ぐらいはやりたい。

ちなみに購入したのは、さわらのみ。お鍋に入れた。おいしかった。

■りんご
ジョナゴールド
王林
サン富士

■いちご
さがほのか
ゆうべに
あまおう
あきひめ
紅ほっぺ
恋みのり
さぬき姫
いちごさん
ゆめのか

■魚
いわし
はまち
あんこう
赤魚
ほっけ
エテかれい
(子持ち)赤かれい
カラスかれい
しらす
いわし
うるめいわし
あじ

はも
めばる
さわら
かますこ(いかなごの親)

■みかん
いよかん
不知火
デコポン
はっさく
三ケ日みかん
下津みかん
有田みかん
いよかん
はるみ
せとか
文旦
甘平
あんみつ姫

■かに
ズワイガニ

■貝
かき

■ぶどう
シャインマスカット

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「不可解なマッコウクジラ=ヨドちゃんの最終処置」(その4)

100年に一度あるかないかの大きな文化遺産を遺せなかった大阪市(松井市長および自然史博物館)の、結果責任は大きいと思っています。大阪が高い文化を誇る都市であるという自認が、どれだけあったのか、問いたいです。維新さんは「無い」と言いそうですが。

双方が次にどんな声明を出すのか、待ちたいと思います。生の声という意味では、「海に戻すのがいいと思う」と言う松井市長のコメントは聞きました(私は反対でしたが)。

他方、大阪市での担当は当然ながら自然史博物館であり、件の文書による「後追い言い訳声明」のあと、だんまりを決め込んでいる同館・川端清司館長の生の声を待ちたい思っています。

自然史博物館館長の怠慢のせいで、「市長に報告をしなかった」という濡れ衣を着せられた大阪市の(匿名)担当者様には、たいへん気の毒に思っており、精神面で病まれることのないよう願っています。

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「不可解なマッコウクジラ=ヨドちゃんの最終処置」(その3)

 この件、私は完全に部外者で、あまり深く関わるつもりはなかったのですが、あれこれ意見をいただいたり、それに対して思うこともあるので、「その3」を書きます。

 とにかく私が思うのは、政治的なこと、行政のこと、研究資料としてのこと、自然文化遺産としてのこと、観光資源としてのこと、すべてをひっくるめて、「歴然たる結果として、ヨドちゃんが紀伊水道に沈められてしまったことが残念である」ということ、本当にその1点だけです。

 その経緯にはもちろん、あれこれ議論があったのは間違いないと思います。ただ、中にはきわめて短絡的に「市政が悪い」「維新が悪い」と政治のせいにしてしまう方がお見えのようですが、それは必ずしもそうではないと私は思っています。

 同党が文化行政に熱心でないのは、世間で既に言われていますし、私自身も反感を強く覚えております。

 しかし、大阪市立自然史博物館の内部に「どうせ市長には勝てないから、維新には勝てないから」「歯向かったら博物館の予算が減らされる」というのが、大前提としてあったのではないでしょうか。

 はたして松井市長は最初から最後まで、ヨドちゃん保存派の敵だったのでしょうか。たとえば、同党が力を入れて推し進めている大阪万博2025と絡めて、ヨドちゃんを会場予定地である夢洲へいったん引き上げて、夏の間に処置をする、その後で引き続き、大阪万博2025で展示する・・・、そんな進言を市長にするとか。

 とにかく経緯や考え方や手法はすべて抜きにして、結果としてヨドちゃんに大阪に残ってもらうための方策を、大阪市立自然史博物館はすべてし尽くしたのでしょうか。この機会に市長を説得してまで、市民の世論を味方にして、文化を守ろうという気概が、あなたたちには本当にあったのでしょうか。

 再度になりますが、上述したとおり、とにかく結果として「ヨドちゃんが紀伊水道に沈められてしまったことが残念である」と、大阪市(松井市長、自然史博物館の双方)に対して、申し上げたいと思います。

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「不可解なマッコウクジラ=ヨドちゃんの最終処置」(その2)

 私はもう内部の人間ではありませんから、私の持っている情報は報道の通りであることを前もってお知らせしますとともに、以下の当方の勝手な意見で、気分を害する方(大阪市関係者、旧同僚等)があれば、あらかじめお詫びいたします。

 大阪市立自然史博物館に既にクジラの骨格標本は展示されてますが、その経緯を知ってる方はあまりおられないと思います。他方、今回のヨドちゃんはみんな知ってる。大げさに聞こえるかもしれませんが、1950年に開館した前身の自然科学博物館開館以来、最も大きな収集・保管・展示すべき自然史資料であったと思います。

 松井市長が「海に戻してあげる」とおっしゃってましたが、博物館が早くに手を挙げて動いていれば、市長も(政治家という人気商売なので)考え方が変わったかもしれないのではないでしょうか。
 
 当然ながら、この不景気の中での予算の都合はあるでしょうし、どこかの段階で、海に戻すという意思決定がなされた点は、背に腹は代えられない話なので、理解するしかないと思います。

 もっとも情けないと思うのは、落としどころが「(匿名)担当者」が市長に報告しなかった、という点です。大阪市立自然史博物館の幹部は、自らがこの件の担当者の一部であるという自覚は無かったのでしょうか。

 ヨドちゃんが紀伊水道に行ってから、プライドを保つだけのために、すべき仕事を果たせなかった言い訳をするように、後出し声明を出すのは、見苦しいだけだと感じました。

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アイ・アム・ア・ポエマー

年齢のせいか、ふとした時に詩が浮かぶ。書きだして公表するのは照れくさいが、することにした。

英語で詩人は普通poetだが、私の場合は嘲笑の対象(=poemer 和製英語)という感じ?(すいません)

しやけのドイツ箱「作詞のページ」
https://shiyake-doitsubako.website/poem.html

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不可解なマッコウクジラ=ヨドちゃんの最終処置

2023年1月に大阪・淀川河口に現れたマッコウクジラのオス、ヨドちゃん。

別分野ながら、かつて大阪市立自然史博物館に勤務していたので、これまでもクジラが堺に流れ着いて、 多数の老若男女が集って活動をしている市民サークル「ホネホネ団」らによって、きちんと学術標本として埋葬処置され、そして博物館の大きな目玉展示物となってきた経緯は、もちろん知っている。

しかも今回は大阪市内。そしてこれほどまでに話題になった。彼が博物館のポーチにマッコウクジラのメス(マッコ)と並んで展示されたら、関わった人全員、大阪市民、近畿一円の方々、大阪への海外からの訪問者、そしてご本人(ご本鯨?)にとって、最もいい形での最終処置方法ではなかったのか。

1950年に天王寺に開館し、江戸時代から続く大阪(大坂)の町民学者らと手に手を携え、今日まで自然科学博物館/自然史博物館が育んできたシチズンサイエンスの力量を、示すことのできる絶好の機会ではなかったのか。

ところが、重りを付けて紀伊水道に沈めると聞いて、私は耳を疑った。

学芸課長・佐久間大輔氏のコメント、すなわち「総合的な判断だったから」というのは、いつもの彼の歯切れの良さを知る者としては、まったく物足りなさを禁じ得なかった。

大阪市の松井市長は「引き取りの要望は聞いてない」、そして担当者が市長に伝えなかったとのことだった。しかし、これは自然史博物館館長・川端清司氏が直接、松井市長に電話をしてでも、直談判をすべきだったのではなかったのだろうか。

もし俺が博物館館長なら、間違いなく電話しているぞ!

(元)博物館人のひとりとして、この落としどころは、まったく理解ができていません。私の理解が間違っているなら、正していただきたいです。

クジラのヨドちゃん『博物館が骨格標本化を希望していた』と判明…なぜ費用かかる「海底沈下」に? 市の担当者『要望は市長には話していない』

https://news.yahoo.co.jp/articles/6075568bafceb194ee6843689ce375c5ea4d4f19

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ひどい精神疾患の経験

 2022年3月の退職前後の半年間ほどは、精神的に最低だった。その前にいわゆる鬱の状態があったが、さらにひどくなっていることを自覚した。他の人の言っている言葉についていけないし、極度の不安感から常に足が動いている状態だった。家でも職場でも駅のホームでも、同じところを繰り返し繰り返し、歩き回るのである。

 医療に多少とも心得のある家族が「これは統合失調症と思う」と言って、救急車を呼んだこともあった(救急車車内で縛って搬送された)。その時は既に夜中だったが、歩き回るのが収まったころ、釈放?されて自宅に送り返された。

 ひどいときは幻聴を伴った。聞こえてくるのはいつも、なぜか阪神タイガースの選手応援歌で、自宅で悶々と横になっている時には、その音楽が夜中の1時・2時に聞こえてきて(そんな時間に野球中継はやってない)、近所の人が大音響で試合の録画を見ているのだと思った。しかし翌朝、電車に乗っても、同じ応援歌が聞こえてくるのだ(しかもなぜか、近本→中野→佐藤輝→大山と打順の通りに)。この時になって、これがやっと幻聴であることに気づいた。

 食欲は3週間ほど、まったく食べられない時があった。ちょうど病院で血液検査をする機会があったが、栄養が足りてない状態だったらしく、いつも診てもらっている先生からは「あなたは断食をしているのか?」と聞かれた。あと身体の変化としては、足の爪がペラっと剥がれてしまった(栄養失調の症状らしい)。

 薬を出してもらっていることもあってか、幸い体調は回復して、今はあれこれ仕事ができるようになっている。しかしあの頃を思い出すと、当時の自分は本当に「危ない」状態だったと思う。

※精神疾患は誰にでも急にやってくることがあります

 

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若者たち 今むかし

むかしの若者たちは
とことん振り切れるとこまで
悪事の限りを働いて
ダメな自分に気が付いた

今の若者たちは
おとなしすぎはしないかな
レール外れてぶつかって
学ぶこともあると思う

むかしの若者たちは
個性を無理やり潰されて
会社のためだけに尽し
ニッポンのサンギョウを支えた

今の若者たちも
会社の指示だけ待っている
お年寄りが困っていても
見てみないふりを決め込む

むかしの若者たちが
オジサンになって作った
この国の社会の仕組みが
こんな結果をもたらした

今の若者たちが
悪いわけじゃないと思う
かつて世界ナンバーワンと
言われた この国の陽は沈む

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